戦争の過ちを二度と繰り返さないために

「戦後70年、憲法を考える」 田村武夫先生(茨城大学名誉教授)の講演を聞いて

2015年09月15日 20:41

(事務局 大竹)

 

前述の「鐘をつく会」の後、田村先生の講演がなされました。

新憲法によってこの国の新しい秩序がつくられた「戦後」とは何か、その「戦後」を変容させようとする保守勢力と「戦後」秩序との攻防、保守勢力が切り札とする安倍政権誕生によって今、「戦後」がどのようにされようとしているのか、「戦後」を終焉させようとする「改憲」への阻止などを軸にした講演は、非常に啓発される内容でした。

 講演資料から、記憶に留めるべく論点を私(大竹)なりの解釈ですが、紹介させていただきます。

 

(1)「戦後」の秩序とは、アメリカが占領に際して「戦後」日本に込めた目標で、再び侵略と植民地支配に向かうことへの阻止であったことを論点の基本的なことの一つとしている。戦勝国アメリカが目指したものはアジア・太平洋地域での自由な通商秩序うであり、これを実現するためには日本の軍国主義復活を根絶することであった。そのための憲法九条で厳格に縛ろうとした。さらに、天皇制による専制支配を排除し、国民主権によって民主主義を支える市民的自由の保障を憲法で約束させた。また、国民が侵略戦争を支持した背景にあった貧困からの解放を、人権の保障として位置づけた生存権を設けた。

これらを一括して「戦後」体制とは、平和主義、国民主権と市民的自由、生存権というセットでくくられるとしている。

 

(2)「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍政権が目指すところが何かについては、たいへん興味深い指摘がなされている。

 安倍政権による特定秘密保護法、集団的自衛権行使容認、解釈変更と法案の立法化行動は、明らかに従来政権とは大きく乖離している。しかし、これはアメリカが90年代以来繰り返し日本に要求してきたことだ。その背景には、グローバル企業の海外進出と発展が深く関わっている。

 安倍政権の目標とは、日本をアジアの大国として復活させたいという野望である。グローバル経済の下で、世界規模に活躍するグローバル企業が安定して活動できるアメリカ主導の世界秩序をつくり、これの一翼を担うグローバル競争大国になることである。そして、グローバル企業の市場つくりのために、アメリカの戦争に加担する集団的自衛権行使が必要である。その背景には、アメリカの世界戦略に相乗りしながら躍進するグローバル企業に、「ただ乗りは許さない」と迫るアメリカの本音が見える。

 安倍政権のもう一方の特徴は、復古的性質である。靖国参拝、歴史修正主義を挙げている。グローバル競争大国を目指す安倍政権が、それに必要な国民を統合する価値観として、戦前歴史の再評価を持ち込もうとしている。これらに日本の保守支配層が強く支えている。

 しかし、九条に代表される「戦後」秩序が、安倍政権の目標に大きく立ちはだかる。「戦後」を葬り去らなければ目標を実現できない。失敗しないためには、国民の反発を大きく招かないようにこれを変えていかなければならない。

 それの手段としての特定秘密保護法であり、集団的自衛権行使容認である、との一連の指摘には強い説得力がある。

 

(3)従来の自民党は、これまで「戦後」を脱却することにいくどか失敗してきた。このことを「教訓」にして安倍政権は、改憲の新たな手法を選択した。

 「戦後」否定の正面突破としての明文改憲では、国民の戦争忌避意識を逆なでするので成功しない。九条の文言に触らず、解釈改憲で先行する。現在、参院で審議中であるがこれが通れば、九条の規範性は失われる。次に、明文改憲を段階的に進める。「緊急事態条項」等、国民との改憲合意がやり易い条項で改憲して、抵抗感和らげておいてから、最後に九条の改憲に及ぶ戦略をとる。

 田村先生は、日本が今最大の岐路に立っていると警鐘を鳴らす。しかし、戦争立法(安全保障関連法)が前述した「戦後」の改廃の正念場に立ち至っているという認識は幅広く共有されていないと憂いる。改憲阻止を目標にした国民的共同の組織構築の必要性を訴えている。

 

田村先生の講演と受講者

 

先に紹介した「戦後」は歴代政権には“重石”として機能してきたが、安倍政権に対しては厄介ものの“重荷”になっているのだろうと感じる。こんな記事が注目される。

「湾岸戦争のトラウマ」(9月12日東京新聞社説抜粋):このトラウマの原点とは、1991年の湾岸戦争。イラクの侵攻から解放されたクウェートが米国の新聞に出した「感謝広告」。30の国名が並んだが、百三十億ドルの巨費を負担した「日本」の名前はなかった。日本政府の衝撃は大きかった。間もなく政府は自衛隊海外派遣の必要性を訴えるキャッチフレーズとして使い始める。

 

湾岸戦争後に衆議員になった安倍首相もこのトラウマを共有していると指摘する社説。彼は著書の中で「このとき日本は、国際社会では人的貢献ぬきにしては、とても評価などされないのだ、という現実を思い知ったのである」と記す。

 では何故、日本の名前がなかったのか? 政府は調べもせずに人的貢献の必要性を言いはやし、92年、自衛隊を国連平和維持活動(PKO)でカンボジアに派遣した。

 湾岸戦争当時、クウェート外交官が「あれは『多国籍軍に感謝を示そうじゃないか』と米国にいたクウェート大使が言い出した」と明かし、米国が出した多国籍軍リストがそのまま広告になったという。多国籍軍には参加していない日本の名前がないのは当たり前だったことになる。クウェート政府に問い合わせていれば、明らかになった話、解明もせずに「湾岸戦争のトラウマ」を逆手に利用するのはまともな政府のやることではないと社説は断じる。そして、このトラウマがイメージを先行させる手法だとすれば安倍政権の下では健在であると指摘する。

 その典型例が「ホルムズ海峡の機雷封鎖に対する機雷除去」であり、「米国輸送艦で救出される日本人母子のポンチ絵の護衛」である。集団的自衛権の必然性の根拠として、安倍首相が当初説明してきた両ケースであるが、その後の国会審議によって、その必然性や絶対性が政府自らの答弁で否定されている。

 

 田村先生の講演とこの社説は通底する。「ただ乗りは許さない。金を出すだけでは受け入れられない。そのためにはこの重荷を降ろし、積極的平和を掲げて世界戦略に加わろう」と!

何のための集団的自衛権なのか?グローバル大国への道、軍産複合体性による国際戦略、グローバル企業躍進に支えられた経済、強者に寄り添う政権でいいのか、国民は金もうけさえできていればいいのか。憲法前文と民主主義が我々一人ひとりに問うているように思えてならない。

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