戦争の過ちを二度と繰り返さないために

「9条の会さかい発信」2018.3 No12

2018年03月15日 12:21

緊急事態の口実

 自民党の改憲項目一つが「緊急事態条項」です。自民党は、大災害などで首相が緊急事態を宣言すれば国会議員の任期を延長できる他、法律と同じ効力をもつ政令の制定、国民が政府の指示に従う義務などを盛り込むようですが、現時点は未定です。そこで、根っことなる自民党改憲草案(2012年)での留意点を示します。

 注意しなければならないのは、草案99条「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか・・・」とあって、内閣(行政府)が国会(立法府)のかわりに法律と同じ政令をつくれると書いてあります。これは、内閣(特に総理大臣)への権力の極端な集中です。さらに草案99条3「なんぴとも・・・国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない」としており、緊急事態下での人権の制限につながります。この他、緊急事態の定義や期限の制限等に多くの不完全さがあることを法律家から指摘されております。

 実は、自民党が示すような緊急事態条項は現憲法の中には見つかりません。なぜでしょうか? 日本は敗戦前の軍事国家において戒厳令が濫用されました。為政者が国家統制を発動する際の強力な道具になり、国民の権利が著しく侵害されたことを歴史に学んできたからです。

 緊急事態条項は、東日本大震災での行政的混乱(民主党政権)を口実に改憲派の政治家が盛んに強調し始めたものですが真意はどこに?

 識者等からは、災害や社会的混乱への対応はオペレ―ション(行政)の改善で解決できると指摘されており、憲法問題にすることではありません。自民案には社会的混乱を口実に、国民の人権を制限し、独裁的に権力を行使できる仕組みをつくろうとしているのが透けて見えます。

 

 

日本の近代と官軍史観

 「勝てば官軍」とは戦勝者の歴史が刻まれることだが、史実とは限らない。大政奉還から明治元年を維新と称して、近代日本への転換点とする歴史教育を受け入れて来た我々だが、スタンダ―ドな歴史書に欧米列強の進出と徳川幕府の外交政策にそうは受け取れない史実を見つける。

 幕府は1641年以降、長崎出島や対馬、薩摩、蝦夷の四箇所に限定した管理貿易政策をとる。その後、外国船が日本沿岸に現れること頻繁になり徐々に門戸を開く。1842年には「薪水給与令」を発布して閉ざした門戸を緩める。

 1854年の対ペリ―交渉で幕府は、国際政治の現実を見通して渡り合い、「日米和親条約」を結ぶ。当時のアジア諸国の植民地化などよりはるかに従属性の弱い外交成果だ。もともとアメリカには日本への侵略意図はなく、下田と函館の開港、海難事故処理や地位協定が主であった。後にオランダ、ロシア、イギリス、フランスと通商条約を締結するが日米条約が下敷きになった。幕府は横浜の開港と都市開発を積極的に進めた。その成功が輸出の増大による外貨獲得と中国や欧米文化の拠点に定着した。

 明治の中央集権国家になるとアジア侵攻政策へと転換、それが太平洋戦争の敗戦まで引きずることになる。その原点は攘夷論の吉田松陰だ。松陰はカムチャッカからオホ―ツク一帯と琉球の占領、朝鮮の属国化と満州台湾フィリピンの領有化を説いた。日本はこの道をなぞるように歩み出してしまった。もしも徳川の避戦論積極外交が存続発展していたら日本はもっと違った道を歩めたのではないかとさえ思えて来る。

 今年は明治150年、安倍総理は明治維新を称揚する。近代の始まりと欧米脅威の国難を克服したと官軍史観で強調するが史実は違うと語る。

 

氷解す水で割りたし酒ありて「コリアンペニンシュラ」70年

蒼果

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