戦争の過ちを二度と繰り返さないために

「九条の会さかい」発信 2021.8 No.53

2021年08月27日 18:54

 ウィシュマさんの死と「憲法の落とし穴」

 この三月、出入国在留管理局においてスリランカ人女性が収容中に死亡した。当会報読者の方々は既にご存知のことと思う。彼女は病気で極度に衰弱し、医療保護を懇願した。しかし、入管職員がそれを放置した末に死亡した。その扱いに、人権侵害だと彼女の姉妹たちが訴えた。

 報道によれば2007年以降、17人が入管で命を落としており、日本の入管行政は国際機関から改善要請を再三受けていたが、政府はそれらを無視してきたという。なぜそうなのか?

 それらの傷ましい事件の背景について、元文科省次官前川喜平氏のコメント(八月十五日東京新聞)に注目する。外国人への人権侵害の一因に憲法制定時の経緯があると言う。GHQ草案では「すべての自然人は、法の下に平等」とあったものが、日本側の改正案では法の下の平等の対象が「すべての国民は、法の下に平等」と書き換えられていた。人権保障の内外平等規定は削除され、人権が「国民の権利」にすり替えられていることにあると指摘する。

 その経緯をネット検索すると「日本家政学会誌 日本国憲法第3章人権条項の生成過程 ベアテ・シロタ・ゴードンによる起草条項を中心として」に辿り着いた。そこには「マッカーサー案の修正について、GHQは『凡て国民は』を元の『自然人』にするよう要求し、『国籍起源』による差別の禁止がぬけていることを指摘した。しかし、最終的には日本側が譲らず『国民』の言葉が残ることになる」との記述があった。

 前川氏はこれが当時の「日本という国を特別な家族とする国体観念の残滓」と捉えて、それが現在も根深く残っていることから生じた人権侵害事件だと主張する。人権感覚の欠如と組織的欠陥がもたらす非道の行為。私たちの周囲には多くの外国人とその家族が暮らしている。その人たちに支援の手を差し伸べている私たちの仲間がいることに救いを覚えると同時に、憲法に潜む落とし穴があることに注意したい。

 

 

 県知事候補者のコントラスト

 「茨城県知事選挙公報」が新聞チラシで配布された。現職大井川かずひこ氏と元茨城大学副学長田中しげひろ氏の二候補者の公約が記載されている。当会報読者の方々の多くがご覧になっていることと思うが、これを読まれてどのような印象を持たれたことかと思った。そこで、偏見を排除する努力を念頭に、会報紙面であることに乗じて感想を示したい。

 大井川候補の公約は意気込みが前面に出る。「やればできる!」「県民が日本一幸せ」「日本一子供を産み育てやすい県」「健康長寿日本一」と「何でも一番」が好みのようだ。それだけに、県政を企業経営と位置づけ、県民を社員に見立てて尻をたたき、会社業績を上げようとする経営者の発想が色濃く感じられる。

 一方、田中候補は知事として成すべきことを具体的に書いたように見える。新型コロナ対策、福祉政策、雇用と地域活性化などを挙げて、それらの個々の施策を明示している。地味と堅実さが出ていて、贔屓目ではなくとも県民に寄り添う姿勢が感じられる。

 東海第二原発の再稼働問題は昨年、県民投票条例の知事への直接請求署名活動に発展した。県議会で否決されたが、県民にとっては避け難い課題である。それ故、知事候補であるならば、何らかの態度表明をするのがスジと考える。田中候補は「再稼働は認めません」と表明した。残念ながら大井川候補の公約にはゲンパツのゲの字も見当たらない。これは県民の投票行動を惑わせるに等しい行為である。

 対照的とも言える二人の候補者の公約には、現職と新人が入れ替わったような印象を受ける。それこそ日本一、県民の多くが投票所に足を運んだ知事選になることを切に思う。

 

 

 

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