戦争の過ちを二度と繰り返さないために
「9条の会さかい」発信 2023.9 No.78
裁判所は憲法判断せよ!
護憲2団体にノーベル平和賞を推薦する署名が277筆集がまって送り届けました。署名をいただきました皆様に感謝を申し上げます。
安保法制違憲訴訟は、全国22の裁判所で25の訴訟が提起され、7699名の原告(筆者もその1人)と1685名の弁護士で闘っている。違憲訴訟の対象とは、従来の政府が憲法9条のもとでは認められないとしてきた「集団的安保法制」である。地裁や高裁は憲法判断を避ける不誠実な姿勢を執り続けている。
昨年12月、安保3文書改訂により敵基地攻撃能力の保有が容認された。憲法を踏みにじり、国会を軽視し、国民の声を無視する政治手法が横行し、戦争する国造りが進められている。
日米軍事同盟が年々強化される中、原告たちは安保法制によって戦争に巻きまれる不安と恐怖を訴え、憲法に謳われた平和的生存権が侵害されていると訴える。しかし、裁判官は原告の訴えが現実に根差したものではないとして退けてきた。では戦争に巻き込まれたならば、国民に何をせよとの裁定を下すのかを問いたい。
9月6日、最高裁も憲法判断を回避したが、安保法制が合憲であるとの判断を示したわけではない。今後も各地裁からの控訴審によって違憲判断を獲得する可能性を追求する。それが最高裁判断を変える道を開くと期待している。
麻生氏の公明批判は当たらない(続編 麻生発言)
麻生自民党副総裁が安保3文書改訂を巡って、公明党の消極的な姿勢を批判した。公明幹部を名指して「がん」とまで酷評した。日本が敵基地攻撃能力を保有することの是非に確執が生じたようだ。麻生発言からは、自民が北朝鮮によるミサイル攻撃への反撃能力保有し、抑止力の示威を迫ったようだ。しかし公明側は、反撃能力保有は専守防衛に反し、かつ相手国に先制攻撃と誤解される危険性があるとして、保有に慎重であったらしいように聞こえる。ネット動画で視ると麻生氏の発言の様相は辛辣だ。一方、名指しで批判された山口代表はこき下ろされてもじっと耐えているように映る。
麻生氏の批判は当たらない。むしろ感謝されてもよい位だ。公明はこれまでことごとく自民の政策に同調してきた。「集団的安保法制」や「特定秘密保護法」「共謀罪法」など、違憲性が指摘される安保法や民主主義の根幹を揺るがす法の成立に加担してきたことは否めまい。公明は暴走しようとする自民のブレーキ役になっていると胸を張るが、それとは裏腹に緩衝役となって国民の批判を削いできたではないか。〈踏まれても付いて行きます下駄の雪〉と揶揄されるほど連立にしがみ付いてきた。政治は結果責任である。「平和の党」であろうとするならば、今こそ連立離脱する位の意地を見せよ!
福田村を訪ねて
この事件は5年前(№21)と先月(№77)にとり上げた。9月初めに映画「福田村事件」を観た後、野田市利根川沿いにある現場に向かった。
事件は圓福寺に隣接する香取神社の参道で起こったようだ。今は普通車が一台通れるほどの人通りのない道だ。神社は古いが当時のままかどうかは分からない。うす暗い境内に立って参道を眺めながら、100年前にここで起こった事件を思い浮かべた。映画の余韻がことさらに虐殺の凄惨さを伝える。映画の中では、朝鮮人と疑って殺そうとする自警団に向かって、「朝鮮人なら殺してもええんかっ」とその非道を咎める行商一行の頭の声が耳に残っていた。
2003年9月、現場に近い圓福寺の大利根霊園内に高さ1.8mの慰霊碑が行政の支援によって建立された。碑面には「関東大震災福田村事件犠牲者 追悼慰霊碑」と刻まれ、裏面には犠牲者10名(胎児1名)の氏名・年齢が記されていた。慰霊碑にはたくさんの花と線香の煙が漂っていた。重苦しい気分が幾分和らいだ。同じように花と線香を手向けた。
卒寿なる語り部の志や終戦忌 昌利
この道のここで起こりしまがごとの福田村ありし花手向く九月 蒼果