戦争の過ちを二度と繰り返さないために
「9条の会さかい」発信 2024.6 No.86
どうする自治体?
自治体への国の指示権を拡大する地方自治改正法が19日参院にて賛成多数(自民・公明・維新・国民など)で成立した。現行では災害対策基本法や感染症対策基本法など個別法ごとに自治体への関与が認められている。しかし、個別法を越えてまで指示権を拡大せねばならないほどの立法事例がないだけに、不信感が募る。国会の関与もなく、閣議決定のみで執行される。対等であるはずの国と地方の分権が崩れることは明らかだ。国の指示権乱用を招き、地方知らずの国の介入が現場を無益な混乱に陥れる。それはコロナ対策で体験済みだ。
どうする自治体? せめて地方議会くらいは反対の意見書を政府に送り付けるべきでは!
「民衆憲法」草案に映る明治維新
5月6日の九条美術展講演会にて、「自由民権期の『五日市憲法』と朝鮮人虐殺絵に出会って」(専修大教授・新井勝紘氏)を聴いた。メモと資料から明治初期の憲法草案の話題を紹介したい。
日本帝国憲法が発布されたのが明治22年。明治初期は自由民権運動が各地で起こり、政府に国会開設と憲法発布が求められていた当時、民間人にて草案された憲法が百ほどもあったという。その一つ「五日市憲法」、1968年に現在のあきる野市の旧家で見つけられた。新井氏は「五日市憲法」の発見者である。
千葉卓三郎による草案は全204条。国民の権利に関する条文に多くが割かれ、今風に書けば、個人の権利保障、身分の別なく法の下の平等、子供の教育と自由の保障、地方自治への国権干渉の禁止、信教の自由等々である。
自由民権運動家植木枝盛の「日本国々憲按」では、政府の違憲行為に対して国民の抵抗権を保障し、新政府の樹立を容認している。
岩手県久慈市で書かれた「憲法草稿評林」では、皇位継承が途絶えた際には、大統領制に移行するとして、天皇制を相対化している。
徳川封建制が幕を閉じてわずか14年後と思えば、脱封建的かつ革命的な発想に驚く。それほどに明治維新とは、天皇及び天皇制への民衆の認知度が希薄な時代だったとも映る。
作品「正義の行方」から
1992年に福岡県飯塚市で小1年生の少女2名が行方不明となり、山中にて遺体で発見された「飯塚事件」。犯人とされた被告は一貫して無実を訴えながらも、死刑判決後に異例の早さで刑が執行されてしまった。その後も被告の妻は再審請求を訴え続けている。戦後、再審によって判決が覆され、被告が死刑台から生還した事件は4件だが、死刑執行後に再審された事件はかつてない。仮に判決が覆されたとなれば、死刑制度そのものが大きく揺るがされ、裁判の権威と信用が失墜する。
この事件が「正義の行方」と題して出版と映画化された。捜査官、被告の妻と弁護団、新聞記者へのインタビューを通じて、それぞれが主張する事実とは何か。捜査と審判、新聞報道の在り方への問題提起であり、事件への先入観を排除する拘りを持って作られている。
作品からは捜査官たちの硬直した思考癖が伝わって来る。真犯人が被告の他にないとしたDNA鑑定や遺留物、目撃者証言等について、審判はそれら一つ一つの立証能力は低いものの、総合すれば証拠能力を持つとして死刑判決を下した。「疑わしきは被告の利益に」の原則に照らしてでも、高度の立証性を認めざるを得ないほどの証拠が集められたのか。西日本新聞は、この事件を警察情報に依存した報道を展開して世評を誘導したのではとの反省から、死刑執行後に事件を洗い直す調査報道に転じた。
最高裁判所の玄関に天秤を掲げた「正義の女神」像がある。それは目隠しされた女神ではない。飯塚事件の審判に疑念を抱く法医学者はこの像を指して、日本の裁判に公平さがあるのかと訝る。命の審判の無謬性とは幻想ではないか。
規正法大ざるのまま春の闇 昌利
思ひこそいかにとやせむその身には覚えなき咎の人となりせば 蒼果