戦争の過ちを二度と繰り返さないために
「9条の会さかい」発信 2024.7 No.87
「誰」を問う
東京新聞(7月11日)ジャーナリスト安田菜津紀氏寄稿から。今年の「沖縄慰霊の日」に参列した岸田首相の式辞は「沖縄戦は凄惨な地上戦の場となりました」「戦乱の渦に巻き込まれ」という言葉のどれもが他人事に聞こえ、戦乱の原因者が「誰」かが抜け落ちていたと評した。
式典には「平和の詩」が朗読される。県内小中高と特別支援学校の生徒の応募の中から選ばれた宮古高校3年仲間友佑さんが『「怒り」から「祈り」へ』を朗読した。仲間さんは「誰かが始めた争い」のフレーズを4回繰り返し、「誰のための誰の戦争なのだろう」と想起を促す。
憲法前分には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し」とある。この過去を知っていなければならない。
「戦争法廃止」を訴える街頭活動の6年半
他国を武力で守る集団的自衛権を認める閣議決定から7月で10年が経過した。解釈改憲というクーデターによって国民から改憲の権利を奪い取った事件だった。前後して、特定秘密保護法・新安保法制・共謀罪法が安倍自公政権と維新等によって数の力で採決された。
民主制を弱体化させ、戦前回帰の法制に危機感を強くした人も多い。2015年7月に古河・五霞・境・結城・坂東にある9条の会員たちが「戦争法の廃止を訴える茨城県西市民連合」を結成した。デモ行進、学習会、映画会など機会をみては活動を継続している。
とりわけ2018年1月から始めた古河駅前東口での街頭活動はこの6月で59回を数えた。毎月1回夕方の約1時間。5名ほどのメンバーがビラを配り、マイクを握る。通勤帰りなど駅利用の一般市民に向けて、集団的自衛権を含む新安保法(戦争法)による戦争への危機、憲法9条の大切さ、国民に寄り添う政治等を訴えてきた。道行く人たちの一人でも伝わればとの思いを糧に!
「安保法制違憲訴訟埼玉の会」一原告からの報告
日本国憲法は、国民が戦争のない平和な世界に生きられることを謳い、一人ひとりが個人として尊重され、幸福を求める権利を保障している。だが戦争になれば、個人の権利や自由と生命は奪われる。私たちは他国での戦争の惨状を見つつ、史実としても知っている。
安倍内閣の下で「集団的自衛権行使を容認する」閣議決定(2014年)とこれを含む新安保法制(2015年)が国会で成立した。しかし、これは憲法9条の範囲と歴代内閣が堅持してきた「専守防衛」から逸脱する。「専守防衛」とは日本が攻撃された場合に、必要最小限の反撃防衛を指す。一方、「集団的自衛権行使」とは日本が攻撃されなくても、自国に存立の危機が想定されれば、同盟国(主に米国)の戦争に加担して、敵国との交戦に加わることだ。
この安保法制に危機感を持った一般市民が「安保法制違憲訴訟埼玉の会」原告団を結成した。裁判を通して新安保法制の違憲性を訴えた。同様な違憲訴訟が全国で起こり、22地裁で争われた。埼玉訴訟はさいたま地裁にて国を相手に争ったが、原告の訴えは門前払いにされた。東京高裁、最後は最高裁まで持ち込んだが審判は変わらなかった(2024年4月)。私たちの法廷闘争は節目を迎えている。
この訴訟は国会と内閣の違憲行為を正すために裁判に訴えた行動である。原告は自らの体験を通じて、憲法と平和への思いと安保法制による被害感を陳述した。さらに、小西洋之参議員(立民)や軍事専門家たちが法廷で日本が米国の紛争に巻き込まれそうになった事例を証言した。しかし、裁判官は「原告らの訴えには被害の具体性がなく、切迫した危険が生じているとまでは評価できない」として原告の主張を退け、憲法判断に踏み込まなかった。被害が出てからではこの訴えは意味を成さない。裁判官による国家権力への忖度と法の番人でありながら堕落ぶりを見る思いだ。
草伸びぬ見え隠れして売地札 昌利
慣れぬよう驕らぬようにと諫めつつ街頭に立つは心細かり 蒼果