戦争の過ちを二度と繰り返さないために
「9条の会さかい」発信 2018.7 N0.16
平和行進と東海第二原発不安
7月5日平和行進、雨模様の空に多くの行進者が集まった。古河五霞からリレ―して来た人たちも合わせて80名近い。当会からは初参加者3名を加え12名、例年よりも多い。核兵器廃絶、脱原発に声を上げる。朝鮮半島非核化への期待、国内原発再稼働への不安が心ある人たちを駆り立てるのだろう。
折りしも東海第二原発が新基準審査「適合」のニュ―スが流れた。今後は半径30キロ圏内市町村の賛否にかかってくる。深刻事故を想定した住民96万人の避難計画がまだ定まっていない。事故が起これば県西地域の私たちの健康被害も生じる。農産物への風評被害は地域経済の足を引っ張る。私たちは無関心にはなれない。
2018_heiwakoshin-chirashi.pdf (1019640)
平和の詩少女の瞳を!
沖縄「慰霊の日」6月23日、摩文仁の献花台の前で中学三年生相良倫子さんが自作の詩「生きる」を捧げた。言葉の風景画のようなこの詩には、沖縄戦犠牲者への鎮魂、平和な今の風土に当時の惨状を重ねて「戦力という愚かな力で得られる平和など無い」と世界を糾弾する。自身の決意と共に平和を築いていこうと世界に呼びかける。来賓の安倍首相が目の前に座す。彼女の瞳ははるか遠くを見据えて微動だにしない。その崇高さに心を奪われた。涙があふれる。動画で見て欲しい。少女の瞳を!
(琉球新報社→https://www.youtube.com/watch?v=iRkp7c96a70
「産まない勝手」を批判
「産まない方が幸せ、は勝手。この国の一員としてこの船に乗っているのだから、たくさん産み、国も発展しよう」自民二階幹事長発言が物議を呼ぶ。「産めよ増やせよ」富国強兵策の標語のような感覚で政治家がこの言葉を吐く。五月にも自民加藤寛治衆議員が「新婚夫婦三人以上の出産」を呼び掛けて批判を浴びた。2007年に柳沢伯夫厚労相「女性は産む機械」発言に記憶が戻る。さらに、自民党改憲草案二十四条「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊敬される」文言。個人ではなく『家族』を社会的基礎単位とする考え方は、戦前の「家制度」の復活である。それを下敷きにした発言に思える。
“どう考えたって勝手でしょ”“子供を産まなきゃ損な政策をやって欲しい”と批判が湧いているという。国民感覚の方がまともである。
https://www.asahi.com/articles/ASL6V5WRYL6VUTFK01T.html
二宮金次郎復活とは?
東京新聞6/19「利用され続けた『虚像』道徳の教科化で復活」とあった。二宮金次郎研究者の小沢祥司氏がこの復活を危ぶむ記事。
金次郎は江戸後期小田原藩の農家出身で農民思想家。北関東各地で節約・貯蓄を促し、農民の生活指導を通じて「報徳仕法」を実践したとある。1891年、幸田露伴が少年少女向けに著した「二宮金次郎翁」に薪を背負い読本する挿絵が登場した。これが偶像化のきっかけという。
明治天皇主権下で教育勅語の重要性が増す中、尋常小学校三年用修身教科書は孝行・勤勉・学問・自営の徳目に金次郎が取り上げられた。教育勅語が示す国家に滅私奉公する「臣民」を金次郎は背負わされたと小沢氏は説明する。
敗戦でGHQが日本の民主化政策を進めるにあたり、金次郎の報徳主義を米国独立宣言の平等主義と民主主義の精神に通じ、近世日本が生んだ最大の民主主義者と過剰称賛をしたという。
現在の道徳教育は1958年当時、岸信介内閣が民族意識と愛国心の高揚に設けた「道徳の時間」が源流という。2006年安倍内閣が教育基本法改定で「愛国・郷土愛」が入り込み、現在の道徳教科化に至っている。
臣民教育の残像と愛国心教育が再び子供たちを偏狭なナショナリズムに導かせるようなことがあってはならい。あの沖縄の少女、鎮魂と糾弾に背中を押されるような思いだ。