戦争の過ちを二度と繰り返さないために
「9条の会さかい」発信 2018.9 N0.18
安倍三選と「改憲」がもたらすもの
自民総裁選、安倍・石破両氏の選挙争点が噛合わない。首相の改憲ありきの姿勢を批判する石破氏。八月世論調査は、改憲の優先度が景気・雇用や年金・医療・介護などに比べてかなり低い。国民が求めぬ改憲が明白だ。その現状に、議論の醸成を求める石破氏の姿勢は正道と映るが、両人とも改憲論者で選択肢にはならない
なにゆえ安倍改憲に固執するのか。「教科書に自衛隊が違憲と書かれることを解消するのが政治の責任」だそうだ。それゆえ、現行9条に自衛隊を書き込めばよいではないか、どうだ分かりやすいだろう、と言わんばかり。原則主義者の石破氏は、安倍改憲案の迎合性を批判する。しかし、そんなワカリヤスイでは済まされない。
自民改憲案条文9条二①「(現行9条)前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国民及び国民の安全を保つために、必要な自衛の措置をとることを妨げず・・・」。②「自衛隊の行動は法律の定めるところにより・・・」とある。条文の冒頭から、自衛を理由に現行9条を死文化させている。「法律の定めるところ」とは、既に強行採決で成立させた「集団的自衛権の行使を容認する安保法制」の合憲化にある。それが自衛措置の解釈拡大を容易にする。米国との強い同盟関係にあることから、国際紛争に加担させられることが現実味を帯びて来る。従来の自衛隊海外派遣PKO活動から大きく越脱する懸念が生じる。
安倍首相は三選後、秋の臨時国会に改憲発議、来年の国民投票を目論む。「安倍改憲ノ―」3000万署名は現在1800万を超えた。改憲発議自体にもブレ―キをかける市民活動が必須だ。
やり過ごせない違和感から
7月、13人の死刑断行の異常さ。違和感が今も離れない。平和を口にするものとして、一瞥してやり過ごすにはうしろめたさが残る。会報に記すにはためらうが敢えて取り上げた。
死刑廃止・停止した国は142ヶ国、世界の潮流はそちらに向かっている。廃止の理由には犯罪抑止効果の疑問や誤判の危険性などがある。EU加盟国は全て廃止。米国も19州で廃止、4州で停止だ。韓国も1998年停止宣言以後執行がない。それだけに日本の制度存置は、世界の流れからは特異だ。この刑は憲法36条「拷問及び残虐な刑の禁止」に馴染んでいるのか。
「制度は国民が強く望んでいる」とするのが政府解釈だ。5年毎の内閣府世論調査により、「国民の80%が『死刑やむを得ない』の認識」を根拠とする。しかし、この世論調査の「死刑もやむを得ない」と「死刑は廃止すべき」という設問の仕方が問題だとする報告(「世論という神話」・世界2016.3)からは、設問に影響された結果であるとの指摘、政府が根拠とする世論にも疑問が生じる。そもそも、世論に依存して制度維持をはかる姿勢にも責任感の希薄さを覚える。
刑罰とは報復ではない。司法が「罪と罰の均衡」において「正義」を実現するために執行されることとの説明を読む。
民主党政権下で法相を務めた千葉景子氏、二名の執行を命じて刑にも立ち会ったが、かつては撤廃論者であったがために批判を浴びた。氏は「『なぜ執行』の問いを抱えて」(世界2016.3)で「執行自体、いわゆる正義の回復とは、実際は別次元のような気がした」と回想。刑は社会の一定のバランスを維持するための手法と話す。
東京新聞8月9日の投稿記事「気づかざる荒みと未来」(辺見庸)から衝撃を受けた。「被害者感情と死刑制度は、ひとつの風景にすんなりおさまるようにみえて、そのじつ異次元の問題である。前者の魂は、後者の殺人によって本質的に救われはしない。私は死刑制度に反対である。それは究極の頽廃だからだ」と。正義のようでもなく、魂の救済にもならない死刑ならば、私たちはまだ一瞥を繰り返すのか。