戦争の過ちを二度と繰り返さないために
「9条の会さかい」発信 2019.6 No.27
解散権のもてあそび
七月二十一日を参院選の投票日として準備が進められているが、ここに至っても衆参同時選挙のうわさは消えない。近年、内閣の解散権が首相の専権事項として横行してきたが、安倍政治ではそれが顕著だ。安倍首相は解散権をちらつかせては野党どころか連立の公明さえもてあそんでいる。政権与党はひたすら勝機を図り、勝つことが正義とばかりに、国民の血税と労力を選挙で浪費してきた。
「解散の大義など一日でつくれる」と豪語する自民二階幹事長。そうして国民の不安を煽った「国難突破解散」、失政アベノミクス隠しを「増税延期解散」とぶち上げてきた。今度解散するならば何解散と名付けるかワクワクする。「改元祝賀解散」「一強御礼解散」「100年安心解散」こんなネ―ミングで忖度したら安倍さんに喜んでもらえそうだ。
なぜ戦争発言をしたのか?
維新の会丸山穂高議員が国後島を戦争で取り返してはとけしかけた発言に、政治家の劣化もここまで進んでいるのかと呆れた。この発言は少なくとも戦争放棄を謳った憲法9条と国会議員の憲法尊重擁護義務99条の二つに抵触する。
これに与野党の対応も割れたが最終的に「糾弾決議案」を全会一致で可決した。「国会議員の資格はないと断ぜざるを得ない」と非難し、「直ちに、自ら進退について判断するよう促す」とした。
しかし、戦争を肯定する意見に与することはあり得ないが、糾弾して辞職を迫っただけでは真意が分からない。『反対意見でも言える自由』を与える寛容さが必要ではないか。
仮に、戦争を仕掛けたとしてみよう。日本は直ちに「国際犯罪国家」のレッテルを貼られて、国際的に孤立する。頼みのトランプさんも我関せずと背を向けるなか、安保理常任理事国のロシアは圧倒的な政治力を駆使して国連軍を率いて報復するかも知れない。その先の悲惨さは容易に想像できるはずだが、これを否定するほどハッピ―な選択があったのだろうかと知りたくなる。
元号の息苦しさ
改元間もない五月末「元号制定は違憲」と東京地裁に弁護士やジャ―ナリストが提訴した。ほとんどの国民が何の違和感もなく、新天皇即位した日の零時をカウントダウンのお祭り騒ぎに沸いた。その瞬間、国民は君主に支配される臣民に引き戻されてしまったと危惧する原告たち。
元号の制定は、憲法が基本的人権として保障する個人の尊厳、人格権を脅かす。改元によって時間が細切れにされる。元号で数えることは、無意識に天皇の御代を生きることを強いられ、国民主権を原理とする憲法の精神に真っ向から反すると主張する。
戦後、元号は旧皇室典範の廃止によって消滅したが、1979年元号法で復活した。この法律には国や国民にどんな義務が生じるかも記載されていない、として法体系上の不自然さによる改元の無効性を訴える。元号法制定時、政府は元号使用を国民に義務づけないとしたが、戸籍は西暦併記さえも応じないのが事実であり、公文書も元号のみの記載だ。
世界標準時からの時の分断に戸惑う。それを強いられる精神的束縛がもたらす息苦しさが付きまとう。
「平和的生存権は抽象的概念」
札幌地裁で下されたこの違憲訴訟判決に愕然たる思いだ。安保法制によって脅かされる平和が被害実態のない単なる不安感に過ぎないと切り捨てられた。
埼玉地裁安保法制違憲訴訟でも、仲間の原告たちが子供時代の戦争体験や戦争の悲惨さを聴いた体験から、平和への強い願いを切々と法廷で陳述してきた。その思いは札幌の法廷でも同じである。
精神医学者の中井久夫は、「平和」は状態概念であり表現し難い。「戦争」は始まりと終わりのプロセスがあり分かりやすいと指摘する。戦争が具体的であるからこそ、我々は平和の輪郭を実感できる。
同盟国の戦争に日本を巻き込む安保法制が自衛隊員の命を危険に晒し、国内がテロや相手国の標的になる脅威は現実味のある被害だ。憲法前文の平和的生存権は単なる理念ではない。守らなければならない状態であるはずだ。