戦争の過ちを二度と繰り返さないために

「9条の会さかい」発信 2022.10 No.67

2022年10月25日 18:22

身捨つるほどの祖国はありや

 世界数十カ国の大学・研究機関が各国国民の意識を調べて相互に比較する「世界価値観調査」 2017-2020年、注目されるのが次の設問だ。「もう二度と戦争はあって欲しくないというのがわれわれすべての願いですが、もし仮にそういう事態になったら、あなたは進んでわが国のために戦いますか」に対して、「はい」「いいえ」「わからない」「無回答」の答えを択一する。世界73か国、18歳以上の男女1,000~2,000人の意識調査結果が示されている。

 その結果、日本は「はい」13.2%と世界73カ国中で最低である。二番目のリトアニア32.8%と比べてもダントツに低い。「いいえ」は48.6%と6番目に多いが、「いいえ」と「はい」の差は日本が最も大きい。自らが国を守ろうとする意識が極端に低いことを示している。さらに「わからない」が38.1%と世界で最も多い。報告書は、敗戦国という歴史と他国の憲法にない戦争放棄条項を有していることが背景にあると説明している。

ロシア侵攻が起こった後ならば、この結果に影響しただろうかと考えた。しかし、それを考慮しても国民の意識がこの結果を覆すほどの変化が生じるとは思えない。国民を政治に無関心へと導いたことへの反動は、同時に国と国民の信頼関係をも損ねてしまった。そんな国を誰が我が身を挺してまで守ろうとするだろうか。そう思うほどに「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」寺山修司の歌が脳裏をよぎる。
 

 

 「戦争が起こったら国のために戦うか」の問い 

 日本の様々な防衛姿勢に対する合憲性や違憲性について書かれた本を読んで思うことがある。例えば、解釈改憲による集団的自衛権は9条に対する違憲性を多くの憲法学者が指摘する。合憲とするならば9条改憲を踏むべきだという。しかし、それは私たちが求める答えではない。「9条護れ」だけでよいのか。その先を考えねばならないことである。

ロシア侵攻が起こってからその意識が鼻につく。合憲違憲論を俎上に載せながらも、安全保障とは何か、私たちが考えなくてはならないことであり、思考を進めることだと思う。政治家や専門家に委ねて済むことではない。

ウクライナでは国民が武器を持って戦い、軍を支援している様子が映像で送られてくる。命を落とした国民も多いはずだが、国を守るとは何かのメッセージのように伝わる。「もしも戦争が起こったら国のために戦うか」の問いは私たちへの問題提起のように思える。今後もそれを提示出来ればと考えている。

 

 

闘え村上誠一郎

 自民党の村上誠一郎議員が「財政、金融、外交をボロボロにし、官僚機構まで壊した。何で国葬なのか。俺から言わせれば国賊だ」と言及したとの報道。「国賊」発言を突いた安倍派は彼をやり玉に上げて、「党役職停止一年」に処した。しかし、彼は国賊発言の有無を曖昧にしたまま、党と遺族に謝罪するまでに怯んでしまったように傍目には映る。それが無念でならない。彼の発言は安倍政治がもたらした日本の惨状を言い当てているからだ。

村上氏は自民党内唯一の安倍批判の急先鋒だ。彼はアベノミクスや特定秘密保護法、集団安保法など安倍政権の目玉政策に対しても反意を隠さなかった。集団的自衛権の閣議決定の際は、自衛隊員の命を案じて「惻隠の情がない」と安倍政権の無責任さに涙を流して批判した。

国賊発言を撤回してでも、国民に何一つ恩恵をもたらさなかった安倍政治の欠陥に正々堂々と論戦を挑んで欲しかった。それが彼の自認する「ミスター自民党」の姿勢ではないのか。
その一方で、彼を誰一人として擁護せずに孤立させた自民党の体質と所属議員の資質に救いようのない劣化を見せられた思いである。

 

 


果て見えぬ値上げ続きぬ秋黴雨(あきついり) 昌利 

身捨つるほどの祖国と問わるれば格差無き世の主権在民 蒼果

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