戦争の過ちを二度と繰り返さないために
「9条の会さかい」発信 2022.5 N0.62
憲法を護る共感を 歌人の回想から
〈 昭和とは何であつたか国家とは何を強(し) ひたか 焼けた桜よ 〉
歌人馬場あき子は戦前戦中の昭和をこのように詠んだ。馬場あき子は憲法9条の堅持や反戦に声をあげる人でもある。
太平洋戦争当時、馬場は高等女学校に通う生徒だったが、戦局の悪化とともに学徒動員によって軍需工場で働かされた。戦争とは国民すべてが狂気にさせられることであり、狂わなければ生きてはいけなかったと体験を語る。
敗戦後、馬場は教師になった。御国のために自分を犠牲にすることを強いられ、人が物として扱われたそれまでの教育から、戦争が終わって初めて人間であることに気づかされた。教師を志すものにとって、人は自分のために自由に生きればよいと生徒たちに向かって教えられることほど幸せなことはなかったと回想する。
しかし今、日本は国家統制が強まった戦前と似ていると警鐘を鳴らす。(馬場あき子「寂しさが歌の源だから」他)
憲法を護る共感を 私的な憲法観ではあるが
戦争とは命ばかりか人間性を破壊し、個人の自由や権利までをも奪いとる。その反省の上に今の憲法がある。だが、ロシア侵攻が起きてから、改憲論議が自公維新国民など改憲勢力によって声高に叫ばれるようになっていることに、強い危機を感じる。
憲法前文は、戦争は為政者が始めたがることだから、国民がこれを止めなければならないと言っている。権力者たちは詭弁を弄す「憲法は時代に合わなくなったら改めてもよい」と。でも11条と97条には、基本的人権は先人たちが血を流し、苦しみながら手にした永続的な権利である。だから後世の私たちが護り、将来の国民に引き継げと命じている。国家権力の圧政から国民を守るのが憲法である。権力者の都合で変えられるものではない。それゆえ12条には、憲法によって「自由と権利」が保障されるためには国民は不断の努力をせよと書いてある。
国民に求めた努力とは何か。為政者に対して憲法を機能させよと働きかけることである。
憲法はこのように読める。私たちは主権者として声を上げる、選挙権を行使するなど正当な要求を訴える。いかがだろうか。
「日銀は子会社」発言が発する危惧
今月9日、安倍元首相は日銀による国債の買い入れを巡り、「日銀は政府の子会社だ。満期が来たら借り換えてよい」と発言した。この発言が日銀の独立性と政府の財政規律を軽視するものとして批判を呼んでいる。
アベノミクスによって、日銀は政府の発行する国債(借金)を大量に買い続けてきた。それによって国の借金が膨らみつづけている。さらに異次元の金融緩和政策の下、超低金利が続いている。一方、アメリカではインフレ抑制策として金利が段階的に引き上げられている。これによって日米間の金利差が大きくなっている。為替市場では円売りドル買いに流れ、急激な円安の一要因となっている。このような見方が財政重視する識者たちの大方の評価である。
問題はその先である。国は新型コロナ感染拡大への対策や医療費社会保障費、年々増大する防衛費等によって赤字国債を発行し続けている。財政規律は機能不全に陥っている。日本国の借金は先進国のなかでも突出して高い。安倍さんは、日本の国債は信認されているから心配ないと言う。本当にそのようになるだろうか?
経済成長が停滞した日本の超債務体質と円の信頼度が急落することはないのか。戦時国債は敗戦によって超インフレを招いた。その代償に国の借金が救済された。この先は妄想の域を出ないが、インフレの昂進よっては同様の事態が起こり、卵1パックが札束の値段になりはしないか。その引き金が何になるか専門家も言葉を濁す。首都直下地震による大災害や日本に関連するような国際紛争が起きないことを祈る。
春愁ひ原(もと)尋ねればウクライナ 昌利
「戦争と平和」が座右の書とプーチンは ならば読み返せ無辜なる民に 蒼果