戦争の過ちを二度と繰り返さないために
「9条の会さかい」発信 2023.2 N0.71
今頃に「新しい戦前」
昨年末に民放のテレビ番組に出演したタレントのタモリ氏が「新しい戦前になるんじゃないですかね」と述べたという。この言葉が波紋を呼んでいることも知らなかった。当人の発言の意図は不明だが、ジャーナリズムには関連記事が散見された。一年前の今月24日にロシアのウクライナ侵攻が始まった。この戦況が絶えずメディアから流された。その背景にて「あたらしい戦前」という言葉は人々の危機感と共鳴するに十分な響きを持っていたのだろう。
当会報「9条さかい発信」はこの3月で満6年(72号分)になる。始めた当時は「特定秘密保護法」「集団的自衛権行使を容認する安保法制」「共謀罪法」などが与党一部野党による強行採決で既に成立していた。安倍政権は改憲と戦争できる国にするための下ごしらえに着手していた。その危機を当会報やネットのHP上で当時から訴えて続けている。さらに、「戦争法制の廃止を訴える茨城県西市民連合」による活動の下、毎月第四金曜日夕方六時半から古河駅東口に立つ。街頭演説とビラ配布や署名活動を通じて、通勤通学一般市民に向けて声を上げ続けて満5年になる。この国が再び戦前に向かう状況は当時以前から既に始まっていた。
岸田政権はロシア侵攻を契機に歴代政権が堅持してきた専守防衛からの大転換に舵を切り始めている。これから5年間をかけて防衛力強化のための防衛費をGDP比で2%に倍増することを決定した。そのための財源確保の一部を増税によって国民に負担を求めている。さらに、安全保障政策の骨格三文書を改訂して「敵基地攻撃能力の保有」を明示した。世界三番目の軍事大国への道づくりである。それも国会審議も国民説明も素通りして閣議決定した。
今頃になって人気テレビタレントの発言が人々の関心を呼んでいることは深刻な実態として映る。それでも人々の関心が一過性に終わらないこと願わずにはいられない。
新聞は戦前回帰するのか
内閣が設置した「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」がある。昨年9月から11月まで計4回開かれ、最終報告書は安保三文書改訂の下支えとなったとされる。その議事録が内閣HPで公開されていたというが現在は確認できない。
「しんぶん赤旗1月26日付」と「月刊日本3月号・岸田政権の安保政策、その〝共犯者〝に堕す新聞社・高田昌幸」は、この有識者会議に大手新聞社の社長と元幹部たち三人が名を連ねていたことを取り上げている。
その一人山口寿一「読売新聞社」社長は有識者会議の中で、「岸田総理は防衛力の抜本的強化という歴史的な決断をされた」とヨイショ発言し、外国製ミサイル購入論を展開した。それが読売紙面を政府のトマホークミサイル購入方針とのスクープ記事で飾るという茶番劇まで見せられた。喜多恒雄「日経新聞社」元代表取締役会長は、軍需産業の育成とそのための軍拡財源を国民全体で負担する必要性を説いた。船橋洋一「朝日新聞社」元主筆は、日米共同で敵基地攻撃能力を強化するために基地の共同使用と防衛増強財源のために所得税引き上げを論じた。とりわけ問題は、現役の読売新聞社長山口氏が「メディアにも防衛力について理解を広げる責任がある」と発言したことである。
この記事を書いた高田昌幸氏は、新聞社トップや元トップの発言に対して一社員に過ぎない記者やデスクが異を唱える記事は書けないと断じている。戦前戦中に新聞報道が国民を戦争へと駆り立てた。その反省から国家権力とは距離を置き、監視と批評を真髄とすることから再出発のはずではなかったのか。第二次安倍内閣以後、報道に対する締め付けと政権に都合の良い情報ばかりが流されることが顕著になっている。今本来の報道姿勢は失われつつある。あの世論を誘導する組織に回帰しようとしている。私たちには冷静な思考が求められている。
母と子の目を凝らし見る戦禍跡 昌利
「戦争を知らない子供たち」歌う戦後は当時生き生きしをり 蒼果