戦争の過ちを二度と繰り返さないために
「9条の会さかい」発信 2023.5 N0.74
「お花畑の理想主義者」その通りだ!
5月3日「憲法フェスティバル」は三年ぶりにはなみずき広場での野外開催となった。講演には日弁連から伊藤真弁護士が招かれた。日本が「戦争する国」へと向かい始めた今、私たち市民のなすべきことは何か、熱弁が聴けた。
「自由の恵沢」「政府に再び戦争をさせない」「主権が国民に存する」との憲法前文から、平和憲法を擁護する私たちがこの憲法を政府に護らせることにあると説く。一年前の会報5月号にも記したように、「自由と権利」が保障されるために国民に不断の努力を求め、為政者にこの憲法を機能させよと要求することに通じる。
安倍政権以後、日本を取り巻く安全保障環境の変化に合わせて憲法を変えるべきだとの改憲論が跋扈し出した。日米軍事同盟と集団的自衛権、敵基地攻撃能力の保有等々が抑止力になると政府与党のみならず一部の野党も声高だ。
抑止力とは戦争する意志ありと表明することである。しかし、いかなる場合でも現実と憲法の乖離は生じる。現実を憲法に近づける努力が為政者の成すべきことと講演者は指摘する。
今、私たち市民に憲法を護る覚悟が求められている。改憲勢力に憲法発議をさせない意志を見せようと。自律した市民であり、学び、考え、口うるさい、行動する市民になろうと講演者は説く。一方で私たちのような市民に対して “お花畑の理想主義者だ ”との誹謗が向けられる。“その通りだ!! ”と応えよう。現実を知るからこそ理想を主張することが大切だと。たまたま生まれた日本の今を平和のうちに生きているからこそ声を上げようと締め括った。
何のための広島だったのか
5月20日から3日間G7サミットが被爆地広島で開催されて注目された。平和のシンボル都市での開催だけに、その成果に期待も大きかったはずだ。だが、将来的な核廃絶を目指すための「広島ビジョン」は、ロシアの核兵器による威嚇や使用をけん制するために、G7側の核兵器保有を正当化する内容になっていた。
昨年11月のG20での宣言からも大きく後退したとの批判も多い。さらに、ウクライナのゼレンスキー大統領の参加によって軍事支援と連携強化が際立ち、G7が軍事同盟サミットにも映った。被爆者や平和団体そして地元広島の人たちからの落胆と非難が聞こえる。広島とそこから発信されたメッセージとの乖離は、平和を目指すポーズだけの政治利用と疑われても仕方ない。上辺だけの核廃絶サミットに広島を選んだ意味があるのか。それでも、サミットの後で岸田政権の支持率が上がっているのが現状である。
当会報の読者ならどのように評価するだろうかとの思いを巡らす。
「食の安全保障」その4 コメの飢餓
食糧問題を取り上げるのは昨年4月号から数えて5度目になる。食料自給出来ない国に国民は守れないことは明白、だから書きたくなる。5月28日付東京新聞社説「コメと日本国憲法」が気になった。
1965年度に70%以上だった日本の食料自給率(カロリーベース)が2021年度で38%まで落ち込み、家畜用の飼料や野菜用肥料も輸入頼みだ。何か起これば輸入途絶があり得るが、主食のコメは自給率100%だそうだ。ところがこれで安心は出来ないという。敗戦直後の配給米が一日当たり二合三勺で国民は飢えに苦しんだ。今、同量のコメを配給するならば玄米で1600万㌧が必要になる。そしてコメ生産量の現状レベルは最大でも670万㌧、備蓄米と合わせても800万㌧しかなく、計算上では「半年後には全国民が餓死する」との研究報告を紹介する。国が長年農業の減反政策を進めてきた結果であると指摘する。
集団的自衛権や敵基地攻撃力による抑止力などと勇ましいことを言っている場合ではない。飢えてから気が付く国民が悲惨である。
Gセブン道細くして五月闇 昌利
こぞれども想いはありや広島に核捨てきれぬ恥を知るべし 蒼果