戦争の過ちを二度と繰り返さないために
「9条の会さかい」発信 2024.1 No.81
能登半島地震被災に思う
元日にこれほどの地震に襲われるとは。誰もそう思い、胸を痛めたはずだ。この地震で亡くなった人たちと厳寒のなかで不自由な生活を強いられている人たちに、お悔やみと気持ちだけでも寄り添いたいと思う。一日でも早く元の生活に近い状態に戻れるように祈るばかりだ。
洪水や地震そして原発事故によって、一瞬に多くものごとが奪われる。被災者になったつもりで思いを巡らすと、喪失感に苛まれ、ことの理不尽さに打ちひしがれながら、現実と向き合い、目前の障害を乗り越えていかねばならないのかと。暗澹たる不安の虜になってしまう。明日は我が身かと脳裏をよぎる。その覚悟がありやと自問すれば心もとない。せめて、寄る辺ない不安を抱えながら日々を送ろうと。
性悪説で監よ政治家と政治を
自民党の裏金事件と捜査の行方、通常国会での野党追及に関心を寄せている。安倍派幹部五人組の議員たちは「秘書に任せた。知らなかった」と口をそろえ、辞職もせずに居座る。市民的正義感からすれば憤懣やる方ないが、検察の不甲斐なさをなじっても始まらない。政治の浄化は有権者がすべきことだと先月の会報でも書いたつもりだ。
岸田自民党は「政治刷新本部」を立ち上げたが、構成議員の顔触れに「万引き集団が万引防止策をつくるようなものだ」と世評は辛辣だ。派閥解散を決め込んでヤッテル感を示す岸田総裁の傍らで、「政策集団」と看板をかけ替えてお茶を濁す派閥もある。そうしたところで、一時しのぎの目くらましに過ぎないことをとうに国民は見抜いている。
リクルート事件(1988年)が招いた政治不信をきっかけにして、政党と政治家個人への献金は禁止されたはずだが、政党・資金管理団体への献金は温存された。それを裏金にして常習化する派閥があった。その末路がこのあり様だ。政治とカネにまつわる事件は発覚する度に改善策が打たれてきたはずだが、そうしたところで政治家に順法精神がないからイタチゴッコになる。押しなべてとは言わないが、政治家とは権力欲とカネに抗えない人たちのようだ。
荀子の説く性悪説によれば、人の本性は悪で、生まれながら利益を好む性質があると云う。確かに政治家に限らずともだ。同様な事件はこれまでにも性懲りもなく繰り返されてきた。だが、私たちが選んだ政治家だから、私たちに跳ね返って来る。天に向かって唾を吐くようなものだ。
政治とはこのような政治家によって執り行われるものだから、気を許せば政治は政治家によって歪められてしまう。それ故に、政治と政治家を性悪説の目で監視し、選挙で正すことが有権者の在り方ではないか。
百里に9条の碑を!
航空自衛隊百里基地に隣接して「百里平和公園」がある。その公園に「百里・憲法9条の碑」が建立される。主体は県内の「9条の会」など護憲団体と百里基地存続に反対する団体である。当会も建立賛同金で支援した。
石碑には、日本国憲法前文と憲法9条が刻まれ、裏面は農民が憲法違反だとして反対闘争を繰り広げた歴史が記述される。知っておいて欲しいことがある。滑走路に沿って誘導路があるが、これが「く」の字に曲げられている。平和公園が誘導路に食い込んでいるためだ。70年代当時、国に土地を売り渡すことを拒んだ地主たちがいた。全国の支援者たちがその土地の「一坪地主」になって平和公園が造られた。
9条の碑は全国に32カ所あるそうだが、基地隣接地での建立は百里のみ。県内では古河市尾崎3538「長命寺」、下妻、北茨城の三か所。
なお、賛同金が予定額に達せず、寄付を呼びかけている。「百里・憲法9条の碑」でネット検索出来る。読者の方々にもご支援いただけたら幸甚である。
被災地へ支援の車雪分けて 昌利
子を亡くし妻奪われて生きる夫を被災紙面は動画で伝う 蒼果