戦争の過ちを二度と繰り返さないために

「9条の会さかい」発信 2024.10 No.90

2024年11月01日 20:43

「敗軍の将」への鎮魂

 自公与党が過半数割れの大敗総選挙、早々党内からは石破総裁に厳しい目が向けられた。だが、これには首を傾げたくなる。そもそも、裏金事件の違法性と悪質性が国民の政治不信を招いたことではないか。石破新総裁に選挙責任を問うのは筋違いであり、事の深刻さの自覚に問題がある。表看板をかけ代えれば選挙に勝てると思ったならば、有権者を愚弄するにも程がある。ある自民党候補者の選挙チラシには「裏金なし」「旧統一教会と接点なし」と堂々記載されている。この事件を派閥や議員個々の問題として矮小化しており、自民党議員としての無自覚さが曝け出ている。自民候補者の多くがそうだったのだろう。その認識の無さが有権者との間に大きなズレを生んだのである。

 公明党も1/4議席を減らす大敗を喫した。驚くことに自民非公認候補を推薦した。これも裏金事件への自覚の希薄さと映る。それが支持母体内部での反発を広めたのだろう。石井新代表の落選は見識なき迎合への戒めと解し受忍すべきでは!

 裏金事件が世間の耳目を集めたきっかけは、赤旗新聞が取り上げたことと裏金の行方を徹底究明した上脇教授の功労である。さらに、選挙日直前に裏金非公認議員への2千万円支給を再び赤旗がスクープして、自民批判票を積み上げた。自公与党大敗は赤旗共産党の功績である。しかし、それが得票には結び付かず議席を減らした。田村新委員長の下で船出した共産党にとっては、有権者の打てども響かずの歯がゆさと無念さに共感する。  

 

違憲訴訟原告にとっての国民審査

 総選挙には最高裁裁判官の国民審査がある。しかし、有権者にとっては形式的な情報しか開示されず、とても不信任の判断など出来るものではない。さらに、この審査によって罷免された裁判官は皆無であることからも実効性は薄く、国民の関心も低い。また、罷免要件は憲法79条に「投票者の多数が裁判官の罷免を可とするとき」としか定められてなく、実際には機能しそうもない。

 既報でも伝えたように、(筆者は)集団安保法制の「違憲訴訟埼玉」原告の一人である。この違憲訴訟は全国の市民が22の地裁に提訴して、安保法制実施の差止を求めている。下級審ではいずれも法制による権利侵害と危険性は認め難いとして門前払いにされた。最高裁への上告10件は、いずれも原告の訴えが三行半扱いの決定で退けられている。最高裁は憲法判断に踏み込まず、政府の安保政策を追認し、憲法の番人たる役割を放棄した。この裁判を担当した裁判官3名が国民審査に名を連ねた。思いは3人を「不信任だが、泣く泣く1人に「×」して一矢報いた。でも、放った矢は深く刺さらない。憲法の泣きどころである。

 

被団協ノーベル賞に奈良達雄さんを偲ぶ 

 日本原水爆被爆者団体協議会にノーベル平和賞が贈られた。「古河市9条の会」代表の奈良達雄さんと交流がある人は、「奈良先生がおられたらこの受賞をどれほど喜ばれたか」と思ったに違いない。

 奈良さんは同会報(2021.7)にて、「原水爆禁止運動の思い出」として核廃絶への思いを綴っている。原水禁運動は1954年アメリカによるビキニ環礁水爆実験で被爆した第五福竜丸乗組員の死亡が契機となり、その翌年8月6日に第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催された。当時、平和行進はまだ全国規模に成長していなかったが、この運動を盛り上げるために「古河原水協」は下妻まで歩くことにした。だが、23歳の奈良さんは八千代でへばって歩き通せなかったと吐露している。以後、70年の年月を反核運動はじめ護憲活動や一般市民への啓蒙に人生を捧げてこられた。

 原水禁運動は60年代半ばに政党の介入と対立によって分裂し、被爆者と一般市民の核廃絶への悲願が置き去りされ、その多くが核禁止運動から離れていった時期が続いた。奈良さんの苦悩も大きく、運動の統一に奔走した。現在は政党性が消えて共同行動がとれるようになり、市民レベルでの反核運動が定着している。あらためて、この受賞を奈良さんに報告してご冥福を祈りたい。
 

平和賞核の傘下や秋寂(さぶ)し    昌利    

人となりて生きながらえし「神」もあり「靖国の神」とされたる兄は還らず    奈良達雄

 

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