戦争の過ちを二度と繰り返さないために
「9条の会さかい」発信 2024.9 No.89
「戦争法」成立後9年の間に
「集団的自衛権の行使を容認する安保法制」いわゆる「戦争法」が安倍政権の下で成立してから9年が経過した今、何が変わったのか。
戦後の日本は憲法9条の下で「専守防衛」を堅持してきた。「専守防衛」とは、日本が相手国から具体的に武力攻撃を受けた時に、必要最小限の防衛措置を指す。ところが安倍内閣はこれを覆した。歴代内閣が憲法に反するとして禁じてきた「集団的自衛権」を解釈改憲という禁じ手を使って正当化した。成立の1年前に内閣独断による閣議決定をして、翌年国会で強行採決に及んだ。これを契機に日米軍事同盟の強化一体化が加速された。
集団的自衛権が発動される要件として、「存立危機事態」という概念が導入された。アメリカなど日本と密接な関係にある他国が武力攻撃を受けたことで日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される危機が差し迫る事態を指す。多くの憲法学者からは、この安保法制とその成立過程に対する違憲性が指摘されている。
岸田政権は安倍政権の防衛政策をさらに前進させた。2022年に「国家安全保障戦略」の改訂が閣議決定された。何が問題か!「敵基地攻撃能力の保有」という相手国の領域を攻撃できるミサイル等を平時から装備するとした。運用次第では、国際法が禁止する「先制攻撃」を犯しかねない危険性を伴う。
岸田政権は日米同盟の形も根本的に変えてしまった。防衛省内に陸海空自衛隊を一元的に指揮する「統合作戦司令部」を組織し、これが米軍インド太平洋軍の指揮統制下に入る枠組みがつくられた。これを特徴的に示すのが「南西シフト」だ。奄美大島、与那国島、石垣島、宮古島に自衛隊駐屯基地を開設し、ミサイル部隊を配備している。台湾周辺が有事となれば、南洋樹林の平和な島々は戦火に晒される。これが9年間の変化の実態である。
石破会見から受けた危惧
27日午後6時、自民新総裁石破茂氏は記者会見に臨んだ。記者が安全保障の質問に及んで、石破氏の答弁に聞き逃せない言葉が含まれていた。
石破氏は集団安全保障の本質は「義務」であると答えた。NATOを引き合いにして「助けても助けなくてもよいという話ではなく、その本質は義務だ」と。「アジア版NATO」について、クワッドを拡大した枠組みをつくるべきとの持論を展開した。
集団的自衛権が権利であるならば、当事国の自己決定権は同盟国の間では尊重されることもあろう。日本ならば「存立危機事態」の要件が自衛権の発動を左右するからだ。しかし、石破構想の集団安保同盟が実現したら、同盟国に紛争加担の「義務」が課される。これは集団的自衛権を超えた軍事同盟であり、今以上に日本は戦争から回避できなくなることを危惧する。
中村喜四郎政界引退に思う
先月号では中村喜四郎演説を取り上げた。ところが、彼は9月24日に政界引退を表明した。その決意の背景は様々あろうが憶測は控えたい。だがこの引退に触れない訳にはいかない。でも彼との接点がないなかで、視点や伝えどころも見出せない。
ウィキペディアや「無敗の男」(文藝春秋)を読み返した。“党より人”を掲げて街宣カーで地元を走る姿を思い浮かべながら政治家喜四郎をイメージしたが、彼の政治信条や国家感の実像が結び難い。約半世紀を国会議員であり続け、14回の選挙戦を続けて勝ち抜いた偉業も執念に依拠しよう。
安倍政治が招いた雇用と所得の格差、国民分断の政治などの課題に、政治の裏側に回って野党結集に奔走する。それは視野の狭い野党根性ではない。目線は地元や辺境に暮す人たちとの共感に向く。格差によって取り残された弱者への眼差しのように映る。そこからは、国家という外枠はなく、個々の暮らしに関わろうとする喜四郎像が浮かんで来る。彼の引退は地元同世代の者にとっては空洞感を誘う。一言“ご苦労様でした”と言いたい。
盆迎へ供米山盛り無縁仏 昌利
茜雲影長くして彼の目にこの落日はいかに映るか 蒼果