
戦争の過ちを二度と繰り返さないために
「9条の会さかい」発信 2025.3 no.95
危機高まれり
今月24日に、陸海空自衛隊を一元的に指揮する「統合作戦司令部」が240人態勢で発足した。従来、自衛隊の部隊運用は統合幕僚長の指揮下に置かれたものだが、この組織は幕僚から切り離し、有事に米国軍隊と連携して作戦行動を指揮するために制服組で固めた専門組織のようだ。端的に言えば、軍事行動の日米一体化がこの組織によって体現されたことになる。危惧は自衛隊の自律的な意思決定が確保出来るかという点にある。
柳沢協二・元内閣官房副長官補は「米軍に自衛隊の指揮権はないが、作戦統制権を持つ」と問題視する(東京新聞3月25日付)。圧倒的な情報量と実戦経験に基づく米軍の軍事力に自衛隊の行動が支配されることになるという。
3月27日付東京新聞「統合作戦司令部発足で『密約現実化』」獨協大・古関名誉教授のインタビュー記事が注目される。古関氏は、吉田茂首相が駐日アメリカ大使らに米軍の指揮権を認めた密約を、81年に「朝日ジャーナル」に発表した人だ。「密約の怖さは期限がないこと。潜行していた密約が日米一体化の進行で現実化しつつある」とこの組織への懸念を示す。日米安保条約では、有事下での執行は憲法上の規定と手続きを要件としている。だが、78年日米防衛指針(ガイドライン)によって、有事の際には9条の制約が協議対象から除外されることになったと話す。
自衛隊の武力行使を最終決定するのは日本国の首相である。けれども、日米一体化の態勢は、政治が熟慮できるほどの情報も提供されず、その余裕もない状況に政治を追い込んでしまう危険がある。この組織の発足によってそれが高まったことは確かである。それだけに、政治の役割は文民統制の下で平時から紛争回避の努力すべきことではないか。それでも最後の砦は9条であり、これを政府に護らせるのは国民だけだ。
日本の選択肢とは
「日米安保条約が破棄された後、日本はどうすればいいのか」これを仮想した選択肢論を内田樹氏・神戸女学院大学名誉教授/凱風館館長が東京新聞3月23日付に投稿している。政治学者白井聡氏との対談のなかの話題として紹介している。著者の意図とは違えるだろうが、風刺と福音を聴くように読んだ。
選択肢は三つ。「すがりついて、米国の属国を続ける」「中国の属国になる」「独立する」について想定する。
今の日本の支配層(政治、経済等)ならば圧倒的多数で一番目を選択するだろと。国防費を倍増して兵器を爆買いし、米軍基地を領土として差し出し、9条を廃止して軍隊に格上げし、米軍指揮下に組み込むと。これならば憲法を除いて現状と変わらない。
第二の選択肢も日本人はあっさりのむだろうと。卑弥呼から徳川まで、日本は形式的に自治を許された属国だったのだからと。習近平が「一国二制度で市場経済と天皇制に手を付けない」等と鷹揚なところ見せれば、日本の支配層は雪崩を打って中国共産党に党員登録するだろうし、属国民根性が染みついている政治家や官僚だけに、宗主国を米から中国に取り換えるくらいはた易いことだろうと。
そして、選択肢「独立」が一番困難だと指摘する。なぜならば、戦後80年間自国の安全保障を自力で考えて来なかったからだと。
そこで著者の提案が「日韓同盟」だ。同盟国力はGDP世界3位、人口1億8千万人、米中とは等距離を保持する。米軍にはグアムまで下がってもらう代わりに、中国には海洋進出を抑制してもらう。それが西太平洋と東アジアに安定をもたらす。米中双方にも悪い話ではないと。
だが、歴史認識問題が両国間に横たわる。これを共有してこそ実現できる同盟だ。つまり「独立」とは、両国民の政治的成熟、国民の大半が「大人」になれるかと。そう問うているのだ。
白泉の詠みし戦争なほ今も立ってゐるやうな春の夕闇 蒼果
朴訥を貫き通す梅古木 昌利