戦争の過ちを二度と繰り返さないために

「9条の会さかい」発信 2025.4 no.96

2025年04月30日 18:18

自衛隊を米中覇権争いの先兵にさせるな!

 3月30日に来日した米国防長官ヘグセス氏は、中谷防衛相と会談した後の記者会見で、日米同盟の下での対中対決姿勢を強調した。この会見で「西太平洋の有事に直面した場合、日本は最前線に立ち、日米で支えあう状況になる」と言い放った(東京新聞3月31日付)。

 背筋が寒くなるような不安感を覚えた。西太平洋有事とは中国の海洋進出と台湾介入に起因する米中間の摩擦が昂進した状況を指すのだろう。〈その時は日本の自衛隊は戦闘の最前線に立つのだぞ!〉と同盟国の盟主として、日本国民に向かって明言したのだから穏やかではない。

 台湾統一は核心的利益と位置づける中国である。一方、米国にとっては台湾は地政的に中国封じ込めの防波堤になる。米中が睨みあう最前線とは両国の覇権争いの場に他ならない。そこに日本の自衛隊が先兵として立たされるとは何とも理不尽な話ではないか。

 会報3月号で書いたように、日米軍事一体化によって、在日米軍「統合司令部」の下に自衛隊「統合作戦司令部」が置かれることは濃厚だ。その構図としての鹿児島沖縄諸島を軍事拠点とする「南西シフト」は、米国の先兵を具体化したものに他ならない。

 第二次トランプ政権になって、日本が米中間の紛争に巻き込まれる危機がますます近くなりつつある。ここまで来ると、米国の属国に堕ちたこの国から脱却しなくてはならない。

 

「昭和100年」「戦後80年」の意味とは

 今年は「昭和」という時代の意味を問う論調が目を引く。「昭和100年」とか「戦後80年」といわれる節目の年に当たるからだ。 

 ノンフィクション作家の保坂正康氏は、この二つの言葉のとらえ方を「『昭和100年』の意味」(東京新聞3月5日付)のなかで説き、昭和という時代の見方を整理してくれた。

 歴史学的には、明治から太平洋戦争を敗戦で迎えた昭和20年8月までは近代史に、以後を現代史にて扱われる。「昭和100年」とは、昭和が始まって敗戦までを「昭和前期」、敗戦からサンフランシスコ講和条約を連合国と締結して日本の主権が回復した昭和27年4月までを「昭和中期」、そして昭和天皇が死去した昭和64年1月までの「昭和後期」に平成と令和を含めて、近代史末期と現代史が混じりあった時代だと区分する。

 「昭和100年」には昭和前期に軍部の台頭と独裁によるファシズム社会があった。これに対して「戦後80年」とは、昭和中期から現在に至る中で、社会がそのファシズムを克服しているかを確認することだと説く。「国家主義的な政策が国民の声に反して行われていないか」と政治と社会への視点を示した。

 日米軍事の一体化が進む中で、日本が戦争に巻き込まれることは否定し難い状況になった。それは保坂氏が指摘するような社会的雰囲気を醸成することにもなろう。「戦争が廊下の奥に立つてゐた」渡辺白泉1939年。そこに立っていたものこそ2年後に待っていた太平洋戦争だ。今再び亡霊のように立とうとする戦争。そうさせてはならない。

 

会員読者の皆様に御礼申し上げます

 先月号会報で会員読者の皆様に2件のご寄付を呼びかけさせていただきました。一つは当会活動へ寄付です。当会活動は寄付金によって運営しています。ご協力いただいた多くの方々に感謝します。

 もう一つは「土浦に憲法9条の碑をつくる会」の呼びかけに応じました。当会は団体賛同金3千円を贈りました。会員読者からも個人賛同金1口千円が15名の方々から寄せられて贈りました。

 「憲法九条土浦の会」から御礼と「憲法九条の碑」除幕式5月3日(土浦市木田余東台2丁目9時30分)の案内が届きました。賛同25団体、個人450人との報告がありました。ご協力いただきました皆様には事務局からも御礼申し上げます。
 

 

 

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