
戦争の過ちを二度と繰り返さないために
「9条の会さかい」発信 2025.5号 No.97
戦後とは
5月3日、「憲法フェスティバル」は水戸市千波公園で開催された。田村武夫・茨城大学名誉教授は挨拶で「戦後とは」と切り出した。これが歴史的な意味を持って使われ続けている意義とは。
1931年の満州事変に始まり、45年の太平洋戦争で敗戦に至る15年戦争があった。この戦争による多くの民間人被害者と被爆者がいる。しかし、未だこの戦争に対するけじめがつけられていない。国はこの被害者に謝罪もせず、補償も拒んでいるからまだ戦後なのだ。その補償を訴え続けながら、国に戦後処理を負わせることに意義があると挨拶した。
「傍観者的好戦論」から「当事者的非戦論」へ
憲法フェスの講演ゲストとして、前泊博盛・沖縄国際大学大学院教授が登壇した。氏は日米地位協定や安保体制が生み出す矛盾に研究者・ジャーナリスト・県民として向き合ってきた。以下、多面的な基地問題の要点を絞り、他の資料(2023年12月2日沖縄県民大会基調講演)も参照しながら整理した。
「台湾有事は日本有事」と安倍元首相は言い放った。沖縄には、国土面積の0.6%しかないのに国内米軍の70%が集中している。その沖縄が台湾有事となったら、それらの軍事基地が攻撃されるというのだ。本当にそれで済むだろうか?
沖縄だけが戦場になるかのような「傍観者的好戦論」から、国民は目を覚ますべきだ。国民も県民と同様に戦禍の当事者になる。県民の声「当事者的非戦論」を受け止めて欲しい。
沖縄には日本の犠牲になってきた歴史がある。歴史家GHカーは、沖縄を日本の「消耗品expendable」と書いた。その認識が指す通り、いざ戦争となれば軍は国家を守ろうとするが、国民を守ることが抜け落ちる。それが戦争の実態だ。
今再び日本が戦場になることを避けるために、沖縄が「捨て石」として使われようとしてはいないか。軍事に頼らない平和を国民全体つくって欲しい。日米安保が必要というなら沖縄に頼るな!
これが私たちに向けられた沖縄県民の声だ。
農業を守れ 、そして 食を守れ
米の値段が高騰している。背景にある農業問題に目を向ける動機になればと取り上げた。参照資料:「日本の原点である『農』に回帰せよ」福島伸享(月刊日本6月号)、その他資料から。
米不足による価格高騰が続いているが、一過性にはならないだろう。背景には農家の高齢化と後継者不足、経営難に苦しむ農業の構造的な脆さがある。農家全体の9割超が家族経営で、かつ兼業で維持がやっとだ。廃業も増え続けている。根源的な問題は「農家が儲からない」からだ(福島)。
1俵の米価が1993年の2万3607円をピークに下がり続け、2014年には1万1967円で底を打った。以後も価格は2023年まで低迷し、昨年の米不足で2万3715円に急騰した。国民の主食米価格が30年間で半値になる異常さだ。
米の収穫は年一度、かつ天候や虫害に左右されて不安定になり、品質維持保存が難しい。それ故、時の需給事情で価格が決まり、生産者の価格決定力が著しく弱くなる。そこに資材や肥料の高騰が生産コストを押し上げているから、農家の余剰利益は生まれ難い。ここが他産業にはない農業の特異性であり、「儲からない」理由がある(福島)。
戦後日本の国是は「食料自給」だった。農業基本法も食料自給が目標になっていた。ところが、昨年改定された基本法は「食料安全保障の確保」に置き換わり、「食料自給+食料輸入」となった。不足分は輸入で満たせば善いとした改悪だ。売ってくれる国に頼れば善いという前提に立ったなんとも能天気な施策である。気候変動や国際関係の不安定化からくる調達リスクを無視した愚策である。
「儲からない農業」を存続させて自給を高めるには、利潤が確保出来ることであり、後継者も生まれる。これには政策的な関与が必要だ(福島)。スイス、英、仏では農業所得の9割以上が税金で助成されている。米国は所得助成と生産コスト割れ補助をしている。日本はどうか。野菜農家に対して1割程度でしかないのが現状だ。改革が必須である。
日本の農業を守ることが国民を守ることになる。
梅雨晴間いろいろな人米大臣 昌利
米満たぬ世にはなれども政農にいささかの思ひはありや 蒼果