戦争の過ちを二度と繰り返さないために

「9条の会さかい」発信 2026.08 No.111

2026年09月01日 18:16

8月の妄想

 8月は先の大戦がもたらした過誤に関心が向いて、もし、あの戦争を当時の日本が回避していたらとの妄想を誘う。昭和前期は日中戦争から日米開戦へと突き進んだ。それらを回避できる選択もあったはずだが、そうしなかったことで今がある。

 あの戦争がなければ全土が焦土と化さず、広島と長崎の被爆もない。人口も社会資本も失わずして、昭和は早い段階から高度成長を遂げた姿が浮かぶ。
 国の形は天皇主権が揺るぐことなく、家父長制と男性優位社会、教育勅語に訓示された忠孝の道徳心、軍隊と徴兵制等の下で現人神を頂く臣民として生きる。東西対立の狭間で日本にとっては、ロシア(旧ソ連)や中国が「国体」護持に対する最大級の脅威となる。否が応でもアメリカに追随しながら世界有数の核保有軍事国家を維持する。
 そんな日本で暮らしたいとは思わない。妄想が敗戦と犠牲の尊さを実感させる。今年も戦争の被害と加害の歴史に向き合おうと8月を迎えた。

 

 

でっかい人権持ってます

 〈でっかい人権持ってる17歳です。大人になることを怖がらせないでください〉。国会前デモに参加した高校生が震える声で大衆に訴えた。彼は自民党改憲草案Q&Aを読み「国民の生命、身体、財産という大きな人権を守るため、必要な範囲でより小さな人権がやむなく制限される」への違和感だと話す。これが戦争を想起させ、個々人の抱える事情が人権の大小で切り分け捨てられるからだ。
 草案の人権意識には草案13条「全ての国民は、人として尊重される」が関わっている。一方、現行13条は「すべての国民は、個人として尊重される」とある。だが、両条文の「人」と「個人」では似て非なる深刻な違いが潜んでいる。
 「憲法問題」(伊藤真著)によれば、人は一人ひとりが多様で個性的に生きられることが近代立憲主義に根差した個人の尊重の意味だと説明する。ところが草案では「個人」から「人」へと個性をもぎ取り、名前も顔もないのっぺらぼうな国民として十把一絡げに扱う。個性など法の庇護のらち外に置かれた社会像が見えて来る。
デモの高校生は、自分達は戦争のために徴兵されるのではないかと不安を訴える。私たち大人はこれに向き合う責任がある。

 

 

勿体ない話

 皇室典範の改正を問われ「国民の理解が得られるものとなることを望んでいる」と天皇が語った。そして改正案成立後に、秋篠宮殿下が天皇の言葉を追認する発言をした。象徴制天皇は国民の総意に基づくとする憲法を改正典範が受容していないとの懸念の表明に聞こえる。この発言が話題になるほどの異例さは皇室と政治の関係が緊張していることの表れだ。
 既視感を覚える。平成天皇の生前退位表明である。天皇は生前退位について、象徴天皇としての行為が高齢化と健康面で継続できないと語った。
 折しもこの表明が改憲を標榜する安倍政権の下、改憲発議に必要な多数議席を確保した時期と重なって改憲気運に水を差す形となった。論壇では天皇制に批判的な左派リベラルが天皇の意向を支持した。一貫して平和主義と憲法遵守を語り続けてきた象徴天皇に左派リベラルが同調したのだ。反対に右派は天皇制存続への危機感を露わにして、婉曲ながら天皇への批判を示した。
 この奇妙な光景について、國分功一郎(哲学者)は著書「天皇への敗北」の中で「民主主義で憲法を守ろうという取り組みをしてきたのに、結局は天皇という超越的な存在に頼らざるを得なかった」と自戒した。立憲主義(権力を制限するルール)を軽視する安倍政権に対抗すべき左派リベラルが、自らの護憲を放棄して天皇に委ねたことを悔いる。さらに、この出来事について「日本国憲法には立憲主義が危うくなると天皇がぐっと前にせり出してくる構造が内蔵されていた」と分析する。つまり立憲主義と憲法に依拠する象徴制天皇との間には相互的な補強関係があるとの指摘のようで興味深い。それ故、典範改正や生前退位における天皇の振る舞いを憲法擁護義務に従ったまでだと断じるには勿体ない話だ。


 

九条を改めて読む終戦忌    昌利      

国家の意思日々の暮らしに感染しラジオ売れたり昭和十二年    蒼果

 

 

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