戦争の過ちを二度と繰り返さないために

「9条の会さかい発信」 2020年1月 No.34

2020年02月01日 23:42

高橋源一郎氏と中村文則氏対談記事より

 両作家の対談「不寛容の時代を生きる」(東京新聞 1月7日8日9日)は、現在の政治と個人の関係性を示唆し、私たちに警鐘を鳴らしている。記事の引用は本意ではないが、敢えて伝えたい思いに駆られて『要約掲載』した。

 一強政権の放つ異臭が国民の感覚を麻痺させている。それが政権の延命装置として機能している。『公正世界仮説という心理学用語がある。“世の中は公正で安全だ”と思いたい。だから何かの問題や被害が起こると、社会ではなく個人のせいと考える。この心理が日本に過剰に広がっていると思う。無関心だけでは終わらず、問題があると思いたくないから、現在の社会状況は良いと肯定的にとらえて被害者批判を展開する心理が恐い。これを続けていると社会は全く改善されない。無関心でいたい人たちだけでなく、絶対に社会問題について触れたくないという人たちもいる。考えさせようとする相手が嫌だという風潮がある。それをストレスと感じる人たちが増えている。』(7日記事)

 『今の政権で一番問題なのは、言葉が毀損されている。日本語としてもおかしい。どんな質問をしてもまともに答えない。目の前にいる僕は存在しないという扱い方をされている。矛盾したことを言っても恥じない。間違っていても訂正しない。これが日常になると正常な言語感覚が壊れてくる。』(8日記事) 

 国家と個人との間の距離感の大きさはどうすることも出来ないものか。『《お前が勝手にやったんだろう》。自分の意志が共同体の約束事と違うことをするとそれだけで「罪」にする。日本人は「公」のものに黙って従う心の型から抜けられない。韓国は悪い権力は自分たちで倒せる意識で「公」と「自分」が近い。日本はその関係が遠いと感じる。両者の間に緊張感がなく、人権や多様性を重視する考え方が縮小していく。単純化の怖さ、オールオアナッシングになると民主主義の否定になる。』(9日記事)

 

 

 中東派遣の愚策

 米国イランの間で卑屈とも映る政府の海自中東派遣。昨年末の国会閉会後を狙って姑息な閣議決定を下した。今回の派遣は、対イラン有志連合を主導する米国と、敵対を避けたいイランとのジレンマの末の決定だろうが、1月早々、イラン国防軍司令官がトランプ大統領指揮下で殺害されたばかりの緊迫度を極める地域への派遣である。しかも、政府説明の「調査研究」ならば260人もの自衛官と武器装備の護衛艦派遣が現状で必要なのか甚だ疑問だ。

 政府はイランを刺激しない海域に止めた。しかし、海自の活動海域は海賊の出没が2015年以降沈静化している一方で、国家に準ずる武装組織相手ならば戦争に発展する危険がある。
憲法は武力による威嚇と交戦権を認めていない。米国におもねり、多数の自衛官を危険にさらす憲法違反の派遣を私たちは認めない。

 

 

「半分主権国家」

 日本がいまだに米国による被占領国として扱いから脱却することが出来ない背景に、日米地位協定があることを知って欲しい。軍事面での占領体制が戦後74年経っても残っている。米軍はこの協定に基づいて日本のどこにでも基地を造れる。基地ばかりではない。巨大な制空権に握られているから、首都圏上空でさえ日本の航空機は米軍の許可がないと飛べない。

 民主党政権の時、普天間基地移設先を「最低でも県外」と言い出した鳩山首相、米軍基地に苦しむ沖縄県民に心を寄せた政策を打ち出した。しかし、地位協定の壁に辺野古移設を渋々呑まされた。政権が自民党に復帰後、県民の激しい抵抗が続く中でも建設が強行されている。

 当時の民主党にしても、今自民党でも優先すべきは日米地位協定の見直しである。改憲よりも重要な政治課題ではないか。米国隷従国家に成り下がらないためには、ここから主権国家としての安全全保障を議論すべきではないか

 

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