戦争の過ちを二度と繰り返さないために

古河市9条の会ニュース 2021.7月号

2021年06月30日 19:18

原水爆禁止l国民平和大行進にご参加を

 原水爆禁止世界大会の成功をめざす、「国民大平和行進」が、6月30日古河市に入ります。

 「核兵器禁止条約」発効の年、特別重要な取り組みになります。

 午後2時15分、旧三和庁舎角の交差点で、スタンディング(プラカードやポスターを掲げて道行く人や車の運転士に訴えます)を行います。3時20分古河市役所(総和庁舎)で市長の挨拶を受け、4時に古河駅西口でスタンディング、古河庁舎前まで行進、4時半から歓迎集会の予定です。

 7月1日は午前9時古河庁舎前で出発式、五霞、境、板東、常総へ向かいます。

 時間の都合を見て、参加できる所にご参加をお願いします。

 

 

原水爆禁止運動の思い出   奈良 達夫

 古河で原水爆禁止の運動が始まったのは、1954年、アメリカがビキニで行った水爆実験の「死の灰」で、マグロ漁船・第五福竜丸が被爆、船長の久保山愛吉さんが亡くなった事件がきっかけでした。よく1955年8月、第一回原水爆禁止世界大会に古河代表として、文化協会理事・書家の立石光司氏、司会議員の過ぎた要一氏を送るために取り組みました。

 世界大会を成功させるための平和行進は、まだ全国で統一して行う態勢はとれず、古河原水協は下妻まで歩く方針を取りました。私は23歳でしたが、八千代の沼尻でへばってしまい、バスで帰ってきたことを覚えています。それから数年は同じコースを歩きました。

 

 分裂策動との闘い

 以来、60余年原水爆禁止運動に関わってきましたが、一番苦労したのは、1965年旧ソ連の代表・ジューコフが、地下核実験を野放しにする「部分核停条約」の支持を押し付け、総評の安垣氏と謀って大会から脱退し、「原水禁国民会議」を結成したことでした。マスコミは「減衰禁運動のブンレル」と書きたてました。

 私はこの時の大会の茨城代表団の団長として、統一を守るために闘いました。

 それからというもの、署名を訴えてもカンパをお願いしても、「分裂したから協力出来ない」と云われ、運動は困難を極めました。国民会議を支持した社会党は安保保持に変節、村山内閣は自民党との連立でした。

 

 変節舎の末路

 私達は困難に耐えて運動を続けてきました。変節者はどうなったでしょう。ソ連は崩壊、総評は「連合」に呑みこまれ、百数十名の国会議員を持っていた社会党(現民主党)は片手にもならない党になってしまいました。

 

 

粘り強く藤一への働きかけを、

 原水協は、国民会議の過去の誤りに捉われず、一緒に運動をすることを呼びかけ、各地で共同行動が取れるようになり、社民党も福島党首になってから、革新野党の一角に加わるようになりました。野党共闘は長野・北海道の補選、広島の再選挙で憲法9条を守る勢力が完勝しました。

 

 この力で核禁条約を批准する政権を

 唯一の戦争被爆国が、核禁条約の批准を拒んでいる、こんな恥ずかしいことはありません。条約を批准する政権を樹立するために力を尽くしましょう。

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