戦争の過ちを二度と繰り返さないために

「9条の会さかい」発信 2023.8 No.77

2015年09月17日 21:04

「言葉の耐えられないほど軽さ」

 三木義一氏(青学大元学長)は、政府・東電が福島県漁連に「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」との約束を反故にして海洋放出を決めたことをこう喝破した。世論に対しても、「政府の説明が不十分」に7割を超えながら、放出「賛成」が五割を超えることに疑問を投げかけた。(8月24日東京新聞「本音のコラム」)

 同感だ。漁師たちは原発事故以来、風評被害で漁業を続けることへの不安に苛まれながら、後継者の行く末にも心を痛めてきた。消費者の不安を軽減しようと魚の残留放射線量も開示してきた。漁師が活路を見出す12年間だった。最近、その努力が報われつつあることも聞かれる。それが海洋放出によって一転し、再び冷たい風評に晒されることを思えば他人事で済まない。放出に賛成する世論の軽さが耐え難い。

 ネット動画を視た。8月21日、岸田首相が「数十年の長期に渡ろうとも国が全責任をもって対応することをお約束致します」と全漁連を説得したが、「漁業者、国民の理解を得られない処理水の海洋放出に反対であるということはいささかも変わりません」と全漁連会長は姿勢を崩さなかった。その三日後に放出が始まった。国会の審議も経ず、約束を反故にしたまま、国が長期に及ぶ全責任を負うと言ってのけた無責任さに耐え難いほどの軽さを感じる。

 

麻生発言への反応の鈍さ

 麻生自民副総裁が訪台して「日本、台湾、アメリカなど有志国に強い抑止力を機能させる覚悟、戦う覚悟が求められている」と言い放った。中国はこれを挑発行為と直ちに反発したが、国内のマスコミや各政党の反応が鈍かったことに危機感を覚える。さらに、麻生発言は事前に政府と調整済みという経緯も問題視すべきだ。政治家の発言だからこそ不要な緊張を煽る言動には、公然と声を上げるべきではないか。

 元自民党幹事長山崎拓氏が麻生発言の軽薄さを論難した(月刊日本9月号)。山崎氏は麻生発言が「台湾に武力侵攻すれば、日本は軍事介入する」との意思表示で伝わることを懸念する。しかし、憲法9条の下、専守防衛上は武力介入出来ないと指摘する。また、集団的自衛権上の「存立危機事態」としても、「我が国と密接な関係にある他国」に台湾は該当しない。なぜなら日中平和条約の規約から、国交のない台湾を国家として扱えないと論じる。一方で米国が中台関係の現状維持を容認する中、「台湾独立」を煽るような麻生発言に、山崎氏は苦言を呈す。「戦争ごっこ」のような軽さだと。その上で、中国との対話と意思疎通、危機管理を徹底することを政府に求めた。それには私たちは賛同したい。

 

 

関東大震災に乗じた人災

 震災百年の今年、当時の惨状を特集する報道が多い。震災に乗じ、朝鮮人ばかりでなく日本人も殺された人災にも焦点が当てられている。

 「福田村事件」とは千葉県福田村(現 野田市)で香川県から来た行商人一行が自警団に捕らえられた。言葉なまりから朝鮮人と決めつけられ、二十代の夫婦(一人は妊婦)二組と胎児を含む六歳までの子供4人、十八歳と二四歳の青年、計10人が惨殺された。行商人には被差別部落出身者が多かったことが原因とする見方もある。また、「検見川事件」は千葉県検見川町で、沖縄、秋田、三重出身の3人が自警団に捕まり、顔も分からぬほどに殴られ、日本刀で切り殺された。理由は福田村事件と同じである。

 異質な他者に向けられる差別偏見は、現代にも存在する。人種や社会的弱者少数者への差別偏見は日常は見え難い。また、それらが無自覚的に潜在している場合もある。だが、社会的混乱に乗じて一気に噴き出す危険性がある。だから日常の差別偏見に目をつむってはならない。

 9月1日から映画「福田村事件」(森達也監督)が全国上映されます。最寄りでは「イオンシネマ春日部」にて鑑賞出来ます。是非ご覧下さい。

 

 

 

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