
戦争の過ちを二度と繰り返さないために
古河市9条の会ニュース ’25-4
『広島の語り部』市川法生のこと
市川恵子
夫市川法生とは39年以上伴に暮らしていたにも関わらず、広島で「語り部lとして何を、どう語っていたのかほとんど詳細を知らない自分を今更ながら悔い、私の知る市川法生の一面を書き起こした。
18歳から勤めた車の部品製造会社をあと少しで定年という時、広島の母親の具合が悪いと聞き、様子を見に広島へ行って戻ると「定年後広島に住むマンションまで決めてきた」と。
にわかに家財をまとめて引っ越し。母親は法生の姉・兄・弟等の家族に見舞われ案外しっかりしていた。法生は『広島平和記念資料館』に通い始め研修後「語り部」の資格を取った。
「語り部」は決められた日に旅人や修学旅行の生徒などを前に『話』をした。母親の体調は徐々に悪くなり人の手間をかけず他界。その後も『語り部』続け、子供たちに『話』をするのが好きだった様だ。ある日、「おじさんありがとう。」と子供達から手造りの飾り物をもらい嬉しそうにしていた。 3年位して古河に戻った。
小山で「ヒロシマ」という映画を見に行った時の事、上映中はずっと無口だったが家に帰って、「あんなもんじゃなかったな・・・。」ポツリと言った。
夫は2023年3月に他界したが、24年の被団協の『ノーベル平和賞』受賞の快挙が存命のうちに実現してたならと思った。
(市川法生さんは二次被爆者として認定)
3.1ビキニデー集会
米国のマーシャル諸島ビキニ環礁での水爆実験から71年目の1日、2025年3.1ビキニデー集会が静岡県焼津市で開かれた。日本被団協が『ノーベル平和賞』を受賞し、「原水禁世界大会実行委員会運営委員会」代表の高草木博氏からの主催者報告で「核禁条約締約国会議」に日本は出席すべきと強調した。
焼津市長の中野弘道氏は、平和市長会議の一員として世界平和のため引き続き取り組むと報告。長崎総合科学大学の大矢正人名誉教授はすべての原爆被害者を被爆者として認めるべきと。高知県の核被災支援センターの濵田郁夫共同代表はビキニ事件で同県のマグロ船の被災について告発。 集会には1800人が参加し、非核80年の今年核兵器のない世界に向けて連帯し、共同を発展させようと呼びかけられた。
第3回核禁条約締約国会議
3月3日からニューヨークの国連本部で第3回核禁条約締約国会議が開かれ、日本からは、日本原水協と日本被団協代表団が参加しました。核保有国や『核の傘』に依存する欧州諸国と日本政府は代表を出しません。濱住治郎被団協事務局長代行は「原爆は『悪魔の兵器』、原爆被害は戦争を遂行した国によって償わなければならない。核兵器は廃絶しなければならない。被爆者はあきらめません。」と発言。日本原水協の代表で日本共産党の笠井氏は「『核抑止』論は侵略戦争を抑止しないばかりか核軍拡競争の悪循環を助長し平和と安全をいっそう危うくする」と発言。会議は核抑止論を批判し、核廃絶は「世界の安全保障と人類の生存にとって必須である」と強調する宣言を採択しました。