戦争の過ちを二度と繰り返さないために

憲法フェスティバル2016  「なくそう戦争法 守ろう9条 声あげよう 主権者はわたしたちだ!」

2016年05月05日 10:17

 

(2016.5.3 水戸千波公園)

 

リポーター 「9条の会さかい」事務局 大竹勉

 

 「9条の会さかい」にとっては、昨年に続いて二回目の憲法フェスティバル参加となった。「9条の会ごか」と合同でバスチャーターしての参加は昨年同様であったが、新たに「古河市9条の会」が加わったことで広がりのある参加行事となったことは喜ばしかった。参加者はさかい7名(内海、大竹、柿沼、斎藤、八田、藤嶋、松澤)、ごか4名、古河3名計14名。定員30名のバスだから今後は多くの参加者を募りたい。

天候が心配されたが、五月の風と曇りに晴れ間はほど良い一日、連休のなか日を楽しめた。会場はメインステージの両側に約30のテントは屋台風フーズ、平和・人権活動ブース他、フリーマーケットがならぶ一般参加者が楽しめるフェスティバルになっていた。

アトラクションの水戸工業高校ビッグバンドジャズ、水戸藩よさこい連若者達のパフォーマンスが見ものだ。

 

 

   よさこい連パフォーマンス⇒動画       パネルディスカッション

 

 

   

      戦争NO!                県内9条の会交流会

     

 

                 

 

フェスティバル主催者田村武夫先生(茨城大学名誉教授)の開会挨拶に続いて、黒澤いつきさん(明日の自由を守る若手弁護士の会)による基調報告、黒澤さんと平和人権活動する高校生を含む若い女性たち5名によるなごやかなパネルディスカッションへと進められた。

以下、大竹が書き留めたメモから印象で言葉を繋ぎながら報告する。

 

 

 

1.田村先生開会挨拶から

 戦争法の廃止を求める2000万人署名も1200万人に達している現状、国民の平和活動は益々の盛り上がりを見せている。特に、日本の将来を担う多くの若い人たちがこの運動に参加していることが特徴である。

今朝の朝日新聞には9条改憲反対68%の報道があった。全メディアも同様な状況を伝え,あの産経新聞ですら7割に近い国民が改憲に反対あるいは疑問を呈しているとの記事。第一次安倍内閣から現在にいたる間に、反改憲比率が10%以上高くなった。いかに現行憲法を守ることが大切なことかを国民は理解しているのではないだろうか。

 

 

2.黒澤いつきさんの基調報告

私たちが今こうして集会をできることは、憲法で保障されている“集会の自由”行使しているからである。しかし、今、その憲法が岐路に立たされている。立憲主義を守るのか止めるのか、民主主義を守るのか止めるのかが岐路に立たされている。私たち国民の誰がこんなことを政権に望んだというのだろうか。主権者である私たちは、今の政権から愚弄されている。私たちの置かれた状況はいったいどんなデモクラシーを歩もうとしているのか。

 

 近代市民革命(17世紀イギリス~18世紀アメリカ、フランス)において、国家と人間(個人)の関係が明確に位置付けられた。人間は誰でも生まれながらにして自由の精神を持ち、私らしく生きることを保障された基本的人権を持っている。自由とは、個人の信条や信教、職業などの自由である。そのために、(市民の同意に基づいた)国家をつくり、人権を守るという社会契約説である。この基本的人権の尊重とは、欧米的近代国家のスタンダードなルールである。日本国憲法第13条においてもこれを保障しており、近代国家としての最低限の基本ルールである。

 

 しかし、現在の日本ではこれが壊されつつある。安倍政権が近代民主主義の切り崩しを図っているからだ。2016年12月成立の特定秘密保護法は、民主主義を麻痺させるに十分な機能を持った法律である。そして、2014年7月集団的自衛権を閣議決定によって産み落とした。これは政権の暴挙である。時の権力が憲法をどう読みたいか、権力の本音が見える。そして、2015年9月の集団的自衛権行使容認等を含む安全保障関連法案いわゆる戦争法案が政府与党側の強行採決によって成立させられた。まさに、安倍政権の執念と言ってもよい。

 

 国民の誰がこんな要求をしただろうか。政治に任せきりは、権力の暴走を生む。今や政治をこの政権に預けることはできない。

戦後レジームからの脱却と叫び、2012年4月に安倍政権がぶち上げた明文改憲が自民党憲法草案である。この改憲草案には、国防軍、治安維持法、個人の尊厳の縮小など、民主憲法には相いれ難い言葉がちりばめられている。

注目すべきは、個人から人への“個”の削除である。これは個人としての尊厳が守られないことを意味する。個人は個性のないただの人へ、あなた自身私自身ではないただの人として国民を位置づけている。国家にとっては、個人の個性が無視された交換可能な存在となっている。

 

 改憲草案13条には「全ての国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求の権利に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない」(傍線大竹)とあり、個人としての権利が制約された表現となっている。

改憲草案14条1項では「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」(傍線大竹)とある。

国民の基礎的な単位として構成するのは個人ではなく家族だとある。家族内で互いを助け合うように憲法が規定することとはいかなるものか。全ての女性が輝く社会を掲げた安倍政治ではあるが、育児、保育園、介護など、家族のなかで女性にかかる負担が極めて重くなることが想定されよう。社会保障制度の不備を家族と女性に負わせた社会的価値観をつくり上げようとする本音が見える。

 

 改憲草案98条99の緊急事態法に至っては、戦争、内乱、大災害等時に内閣が憲法機能を持って、自治体や国民への服従義務を負わせることが可能となる。その下では人権の制限などに異議申し立てができないことになってしまう。三権分立から離れて、政権への極度な権力集中が可能となってしまう。国家緊急事態法は、立憲主義国家の自爆装置となる危険性がある。ここまで来ると、自民党の改憲草案は近代国家の常識から外れた別の国家の体制に等しい。

 

 この夏の参院選、71年目のデモクラシー国家をどう歩むのかが問われる選挙である。4月24日北海道5区補選での野党共闘は、今までにない展開を示した。自民党町村地盤を野党共闘候補が追い詰めた。70年間対立分裂を繰り返してきた野党だが、これを全国に展開しなければ自民党に対して勝ち目はない。

“政治に無関心でいられても、だれも無関係でいることはできない”よく使われる言葉だ。先日、小森陽一(東大教授)、シールズ他と私(黒澤)たちが対談したなかで、“一人称”で訴えることの重要性が認識された。これまでにはない新しい運動の特徴である。“われわれは・・・”よりは“私は・・・と考える、私は・・・を訴えたい”この方が聞き手に伝わる。そして、何よりも自分の頭で考えること、それを相手に伝えることが大切なことだ。

 

 私の好きな憲法の条文は12条と97条である。

 憲法12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」(傍線大竹)。

憲法97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである(傍線大竹)。

健全な民主主義を維持するということは面倒なことである。そして、今日この場にいない人たちに目を向けなければいけない。その人たちにこれを伝えなければならない。そうしなければ、民主主義の勝利はない。そして、安倍政治を終わらせよう!!

 

 

3.パネルディスカッション

(1)一つのテーマとして、若者の皆さんは今の政治の何に怒りを感じたか?

 
  • 生き辛い世の中になっている。それを変えて生きたい。昨年の9月19日安保関連法の政府与党の強行採決には強い怒りを覚えた。

 

  • 医療者になることを将来希望して勉強しており、そこで命の大切さを伝えて行きたい。国民の命が国家権力の下になることなんてあり得ない。安保法がそれを考えるきっかけの一つになった。言論と表現の自由を追求していかないと、国は戦争に向かう危険性がある。

 

  • 安倍政権を成立させたのは、選挙に行かなかった人たちだ。自分もその一人だった。引きこもり状態にあった当時とは違い、今は立ち上がれた状態にあるから、周囲の選挙に無関心な人たちに呼びかけていきたい。“選挙に行こう”と。 権力者は決して自ら戦争には行かない。戦争は一般の国民が犠牲になる。だから、選挙で戦争反対の票を投じたい。

 

  • 高校2年生とき、1年間休学してフランスで過ごした。この時、シャルリ・エブド事件があった。テロに屈せずに表現の自由を必死で守ろうとするフランス国民に感動した。日本に帰ってからシールズなどのデモで同じものを感じた。国会前に行ったら同じ世代の若者が多かったのが嬉しかった。憲法が岐路に立たされている。一国民として18才選挙権がある自分の意見を選挙で投じたい。

 

 

(2)パネリストと黒澤氏の応答から

 
個人と国家の秩序について
 

 国民の命を守るための戦争なんてあり得ない。現政権には自衛隊員の命に対する葛藤が全く感じられない。そんな政権下にある現在、何もしなかったらどうなるのか。私は子供に対して言訳をする気にはなれない。“頑張ったけどだめだった”なんて決して言えない。なんとしてでも戦争法は廃止する。そのためにいろんなことをやり抜くつもりだ。

 

 国家権力に「秩序」を使わせてはならない。秩序を決めたがるのは国家であり、警察権力であるからだ。秩序と制約は如何様にも行使され易い。例えば、原発の秩序とは「安定した電源を供給すること」と秩序化すれば、反原発デモは秩序に反して規制を受ける。改憲草案の中にも多くの秩序がちりばめられている。

 

 憲法13条の「個人の尊重」から、改憲草案では「人の尊重」へと変更されている。

 憲法36条の「拷問・残虐な刑罰の絶対禁止」から、改憲草案では「絶対」が削除されている。

 憲法条文中の「公共の福祉」は、改憲草案では削除されて「公益及び公の秩序」にとって代わる。

 

 「個」を削除した意味とは何だろうか。個人の尊重が近代民主主義のテーマであるのに。では、自民党改憲草案における「人」とはどんな人を指すのか。改憲草案前文の中に書かれている。

日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する」(傍線大竹)。

この前文からは、草案に該当する国民像が浮かんでくる。憲法は、これに該当する人の権利を保障すると謳っているように読める。個人にはそれぞれの信条や価値観がある。しかし、ここから外れた人はその対象ではないというのだろうか。あるべき人、あるべき家族という形が憲法で謳われれば、個人の尊厳は極めて制限を受けることになる。

個人一人一人、いろいろな家族の形が認められなければならない。多様性を認める社会こそが健全な社会である。

 

 もちろん、現行憲法にも個人への制約を課すところはある。個人と個人の権利が衝突する場合に、それを回避させるために制約が働く。例えば、自動車の運転が誰にでも許されていることはなく、資格を持った人が安全に運転することで、他者への安全を保障していることを公共の福祉の理念としている。医療行為も同様に、医師以外の者が医療行為をすれば人命に係ることであり、職業選択の自由よりも公共の福祉を優先している。つまり、公共の福祉とは個人それぞれの幸福追求の権利に合理性を置いている。

 

 

無関心な人たちへ

 無党派層をどう取り込むのか。無関心な人たちに対してどのような取組みができるのかは重要な課題である。

“安倍さん気持ち悪い”と言う一般の人は多い。だからニュースを見ない。新聞見ない。こんな人たちに、家族に、会社で、自分の言葉で話をすることが大切ではないか。

 北海道5区の補欠選挙も野党共闘によって追い込みはしたものの、選挙に敗けたことは認めなければならない。なぜ敗けたのか。もっと無関心層に働きかけることが大切だ。

 政治参加に横たわる敷居をどう取り払うかが課題だ。署名活動をしている人たちに笑顔が少ないとパネリストからの発言があった。笑顔の署名活動で敷居を取り払おう。学校では政治の話がし難い。学校側が設ける規制の問題ではない。空気の問題だ。空気を変えよう。

 政治活動は楽しく、おしゃれにやろう。安倍政権にとって、面倒くさい主権者になろう。

 

以上

 

後記

無関心な人たちに関心を向けさせることがたいへん重要なことであることは、容易に理解できることだ。パネリストの一人、18才の高校生は“空気を変えることだ”と言った。ではその空気とは誰がつくっている空気なのか。自分かも知れない。民主主義が立たされている岐路とは、そのような空気の中にあるのかも知れないと感じている。(大竹)

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